【猛暑を冷ませ!極寒映画特集!】南極北極映画小史
映画の世界と極地は深い縁がある。“世界初のドキュメンタリー映画”と呼ばれる1922年の『極北のナヌーク』はカナダ北部に住むイヌイットの生活を豊かな雪原風景と共に捉えた極地映画の先駆的作品。もちろん“世界初のドキュメンタリー映画”というのは正確ではなく、この作品を差して初めて「ドキュメンタリー映画」という言葉が使われただけ。実際にはそれより20年以上前に今の形の映画を作り上げたリュミエール兄弟が世界各地にカメラマンを派遣してその土地の風俗を記録するドキュメンタリー映画を撮っていたので、映画の歴史はドキュメンタリー映画から始まった。
実は極地映画もその初作品は『極北のナヌーク』ではない。1912年の『日本南極探検』は国策映画的な色彩の濃いドキュメンタリー映画で、日本の南極探検隊の探検というか南極小旅行のようなものに同行したもの。おそらくは大日本帝国の国力を誇示する目的で行われたこの探検、そしてこの映画は、南極探検といっても隊員がペンギンを蹴りつけるぐらいしか南極感はないが(国立フィルムセンターで見た時には客席から「ひどいっ!」の声が上がっていた)、それでも極地映画のもしかすると第一号かもしれないという点で価値あるものだ。
南極・北極はその後も映画界で重宝される。1948年のイギリス映画『南極のスコット』は極点に到達するも生還できなかったスコット隊の南極冒険を描いた実録映画。この作品は当時まだ一般的ではなかったカラーで撮影され、合成用の背景は南極近辺で撮影されているため、その美しい映像は戦後の復興を人々に印象づけるものでもあっただろう。しかしドキュメンタリータッチのストーリーは悲惨そのもので、スコット隊が南極を旅した1912年の時点で南極探検がいかに過酷なものであったか、まざまざと見せつける映画でもある。
一方、アメリカでは1951年にハワード・ホークスが製作と一部監督も務めたと言われるジョン・W・キャンベル原作の南極SFホラー『遊星よりの物体X』が登場、怪物を探知するためのガイガーカウンターなどは後の『エイリアン』に影響を与え、後述の『遊星からの物体X』は同じ原作の再映画化版であるなど、地味ながらSFホラー映画史上の重要作品で、冷戦下の世界情勢を反映した「空を見ろ!」(ソ連に注意しておけ、の意)の台詞は有名。どうも映画というメディアにとって南極はプロパガンダと結びつきやすい場所らしい。
そのソ連がイタリアと合作で1969年に製作したのが『SOS北極… 赤いテント』。北極に不時着した飛行船に乗船していた人々の物語で、ショーン・コネリーがアムンゼンを演じているが主役は遭難者の一人で唯一生還したピーター・フィンチ演じるノビレ将軍。監督は『鶴は翔んでいく』や『怒りのキューバ』などの超絶技巧撮影映画で映画史に名を残すミハイル・カラトーゾフだが、ここでは超絶技巧は用いられず、どちらかといえば映画の主軸はノビレ将軍の現在と遭難時の回想を交互に置くミステリー調のストーリーにあった。
日本ではその後1980年に小松左京の終末SFを原作とする『復活の日』、1983年にタロとジロでお馴染みの『南極物語』という2本大作南極映画が公開され、さながら南極映画ブームの様相を呈したが、このブーム以前の1975年に製作されていたのが日活ロマンポルノの『大人のオモチャ ダッチワイフ・レポート』。性欲処理用に持ち込まれたダッチワイフを使っている内に、南極捕鯨船員たちが生身の女性に欲情しなくなってしまうという異色の南極映画を手掛けたのは監督・曽根中生、脚本・大和屋竺という異能コンビ。切実なのか滑稽なのか、真面目なのかふざけているのかわからない、笑うに笑えない謎の映画だが、南極映画ブーム到来以前にこんな映画が作られていた事実が最大の謎。
1980年代には南極映画の決定版も登場する。ジョン・カーペンターの代表作となった1982年の『遊星からの物体X』だ。アメリカの南極観測隊を他の生物と同化・変身する不定形のエイリアンが襲うこの映画はロブ・ボッティンによる超絶技巧特殊メイクがジャンル映画マニアには大きな反響を呼んだものの、ヒーロー不在の群像劇的な作劇がアメリカの観客には理解されなかったのか興行的には振るわず、『ブレードランナー』ともども後年再評価されてSF映画史における地位を決定的なものとした。ストーリーは『遊星よりの物体X』の原作『影が行く』に準じたものだが、H・P・ラブクラフトの代表作的な南極怪談『狂気の山脈にて』を思わせる映画オリジナルの展開もあり、後にカーペンターはラブクラフト・オマージュ作の『マウス・オブ・マッドネス』を撮り上げることから、クトゥルー神話周辺の映画としても見ることができる点が興味深い。
SFホラーの潮流はしかし、『エイリアン』の大ヒットにより閉鎖的な宇宙船内や異星基地、そして『エイリアン』便乗作の秀作『リバイアサン』の登場もあってか深海に流れ、『遊星からの物体X』が南極映画の新境地を切り拓いたにもかかわらず、B級ホラー大好き人間スティーヴン・キングが原案を担当し『遊星からの物体X』に悪魔崇拝を織り交ぜたビデオストレート映画『アイス・ステーション』が1998年にリリースされているのを除けば、南極映画にはしばらく目立ったものがなくなってしまう。ようやく2005年になって再び銀幕に一面の銀世界を映し出したのはソン・ガンホ主演の韓国映画『南極日誌』。南極探検隊員が次第に狂気に陥っていくこのサイコ・サスペンスは、観客が久しく忘れていたと思われる南極の過酷さを、当時の韓国映画界でブームとなっていたノワールのテイストで装いも新たに見せつけてくれた。
2006年には北極圏で石油掘削に携わっている人々に悪夢と狂気が到来するクトゥルー・オマージュ系SFホラーの佳作『地球が凍りつく日』もひっそりと公開されているが、しかし時代はもはや極地に恐怖は求めていないらしかった。2003年の海のいきものドキュメンタリー映画『ディープブルー』の大ヒットにより映画界にはネイチャードキュメンタリーブームが到来、様々なネイチャードキュメンタリーで南極・北極に生息する動物の生態が取り上げられ、その中で2005年、これまで極地映画の目立った作品のなかったフランスから『皇帝ペンギン』が登場し、世界的ヒットを記録する。2017年には続編『皇帝ペンギン ただいま』も公開されたぐらいだからその人気は根強いらしい。
警察のいない南極観測基地で殺人鬼が凶行を重ねる『ホワイトアウト』が公開された2009年は沖田修一監督の南極お料理コメディ『南極料理人』が公開された年でもある。日米南極映画は少なくとも話題性でいえば日本の『南極料理人』の圧勝で、ここからも南極がもはや恐怖の地としては観客の目に映っていないことが窺える。それにしても、こうして俯瞰してみれば、日本はずいぶんと南極映画が好きな南極映画大国だ。
その後の南極映画を見渡せば、2015年のアートアニメ『ロングウェイ・ノース』(※北極でした)や2019年の『バーナデット ママは行方不明』が多少話題になった程度で、かつてに比べて南極への関心は世界的に薄まった、といえるだろう。とくに後者はアメリカの富裕層の白人が気分転換で一人南極観光をしてリフレッシュというなんともお気楽な南極映画。2018年のアイスランド映画『残された者 北の極地』はほとんど全編マッツ・ミケルセンの一人芝居といえる北極サバイバルものだが、日本でも人気の高いミケルセン主演作にも関わらず話題にはならなかった。極地は神秘の地でもなければ恐怖の地でもなく、この100年の間に観光地にまで格下げされてしまったのだった。
そうした極地観の変化からすれば、2017年の『映画ドラえもん のび太のカチコチ大冒険』がコミカルながらも南極地下を舞台にしたこちらもやはりのクトゥルー・オマージュ系SFホラーだったことは注目に値することかもしれない。映画ドラえもんでは1986年の『ドラえもん のび太と鉄人兵団』や1995年の『ドラえもん のび太の創世日記』で既に南極が舞台として登場しているが、こちらは複数ある舞台のひとつだったので、南極に舞台を絞ったものとしてはこれがシリーズ初。近年の映画ドラえもんはかつてあったようなホラーテイストはほとんど見られなくなっていたため、その点でも時代の風潮に反する珍しい一作といえるかもしれない。
『日本南極探検』を仮に初の南極映画とすれば、映画と極地の関係は既に100年を超える。近年、地球温暖化により北極の氷床面積が急速に狭まっているなど、かつてとは別の意味であらためて注目されている南極・北極。今後いったいどんな南極・北極映画が作られるのか、めっちゃ暑い夏から気持ちだけでも氷の世界に逃避させるために、刮目していきたい。