【Merry Christmas!2022】クリスマスに見たい!映画おすすめ10選!
クリスマスといえば欧米では映画館の稼ぎ時。季節感たっぷりの新作クリスマス映画がチャートを賑わすが、日本はどうもそうではないらしく、今年も『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』や『THE FIRST SLUM DUNK』などの大作・話題作はシネコンにかかっているものの、クリスマスならではの新作映画はほとんど目にすることがない。
というわけで映画館でやってないなら家で見ましょうクリスマス映画!暇な映画好きたちがかなり自由な発想で選んだ「クリスマスに見たい映画」10選を、ケーキとシャンパン片手にどうぞ!メリー・クリスマス!
グレムリン
マニア的にはジョー・ダンテの才気が爆発した「グレムリン2」の方が評価が高いのかもしれないが、モグワイの可愛さが存分に味わえる「1」の方をおススメしたい。クリスマスの夜にパパが買ってきた謎のモフモフ生物「モグワイ」。主人公はギズモと名付け可愛がっていたが、モグワイにはある秘密があったのだ・・・!まあこれ以上の説明は不要だろう。
ややこしいモグワイ・グレムリン・ギズモの関係についてだが、モグワイとグレムリンは種族名で、ギズモは主人公が飼ってるモグワイの個体名である。ガンダムで例えるとモグワイ=モビルスーツ、グレムリン=ザク、ギズモ=RX-78-2というところだろうか?なんか余計ややこしくなったような気がする。そして間違っているような気がする。
ちなみに昔からまことしやかに囁かれている噂話にモグワイ=日本人説(小さくて抜け目ない東洋の生き物)というのがあるが、同じような猿の惑星のサル=日本人説(ブサイクで抜け目ない白人をいじめる生き物)に比べるとモグワイの方が全然可愛いので大歓迎である。なんならモグワイになりたい。ならせてくれ。日本人が朝起きたら全員モグワイに変身していたら絶対楽しいし、一躍世界の人気者になれる。日本復活の道はこれしかない。まあ、水をかぶって一晩でみんなグレムリンになる可能性もありますが・・・。
(アタイサン)
サクラ大戦 活動写真
冒頭、「大正」の「大」が大きく映し出され、そこに「、」が加わり、「太正」となる。そして「蒸気の力により発展した 帝都東京 太正十五年十二月二十四日」と、物語の舞台が簡潔に示される。
クリスマス・イヴの帝都を蒸気灯のイルミネーションが照らしている。人波に逆らって歩いていた一人の女性が、雪の降り始めた空を見上げる。彼女が誰なのかは、まだ誰も知らない。「さあ、幕を開けよう」と、大帝国劇場を見下ろす何者かの影が囁く。彼らもまた、この時点では誰でもない存在である。
華やかなファンファーレに導かれ、リズムマシンの音色が繊細なビートを発生させる。そして『奇跡の鐘』が歌われる。 上モノはビートルズの『ペニー・レイン』や『愛こそはすべて』を思わせるトランペットや分厚いコーラスなど、絢爛そのもの。それを支えるビートに耳を傾ければ、90年代の「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」に思いを馳せずにはいられない。
とても多くの音楽的な成果を持つサクラ大戦シリーズの中でも、この『奇跡の鐘』は極めつけの名曲である。それが劇場映画という大舞台で、華々しく鳴り響く。歌唱が終わり、ステージは惜しみない拍手に包まれ、緞帳が下ろされる。その緞帳に描かれているのが『サクラ大戦 活動写真』という、タイトル・ロゴである。もう何もいらないと思わせる。
(コーエン添田)
屋敷女
クリスマスイブの夜、出産を目前にした臨月の女性・サラの元に不審な訪問者が現れる。女は「電話を貸してほしい」というのだが断ると態度は豹変。なぜかサラの名前も彼女の夫が交通事故で亡くなっていることも知っていて執拗にドアを開けるよう迫った。警察を呼んで一件落着したかと思いきやその女はいつの間にか大きなハサミを手に部屋の中に侵入していて…。
四大フレンチホラーの中でも特に人気の高い『屋敷女』。妊婦を執拗に狙う謎の女、ベアトリス・ダルの怪演が見どころだ。(個人的には冒頭の病院のシーンで出産を控えたサラに対して煙草を片手に初産の大変さをネチネチと話す最低な看護師も見過ごせないのだが…。)絶対的な安全圏であってほしい自宅で逃げ惑うのは本当に嫌だ。しかもこの女、とてつもなく強く、そして容赦がない。立て篭もった白いバスルームはどんどん血に塗れてゆく。さらにサラを襲う陣痛は見ているこちらの身体も痛めつける。
2007年公開時には最大の見どころかつあまりにも大きな痛みを伴うラストシーンはぼかしありで公開されたが、なんと2021年にはノーカット完全版としてぼかしなしで公開された。謎の女とサラの関係、そして女の真の目的を知ったときぼかしの向こう側は悲哀に満ちて、どこか神々しい。
(心理)
ホーム・アローン2
マコーレー・カルキンの大ヒット作の続編は舞台を変えてニューヨーク、今度もひとりぼっちになってしまったケビン少年が改装中の叔父さん宅を魔改造して再び現れた泥棒コンビと対決する。プラザホテルのリッチな内装やロックフェラー・センターのクリスマス・ツリーこそクリスマスムードを演出するが、前作に比べてクリスマス色は控えめ。大都会ニューヨークの冷たく荒んだ都市風景は否応なしに見る者の感情をひとりぼっちのケビンと同調させ、実に心細くさせてくれる。
しかし、だからこそ沁みるクリスマスのやさしさ。郊外のお屋敷で何不自由ない生活を送っているケビン少年なら何もなければまず出会うことのないセントラル・パークのホームレスおばさんや小児病院の入院少年に向けられた眼差しはあくまで優しく、様々な理由でクリスマスをみんなで楽しくとは祝えない人たちの現実を垣間見せつつも、それでもすべての人にクリスマスは訪れることがこうした人々とケビン少年のささやかな交流を通して描かれる。
舞台が大都会ニューヨークとあってオモシロキャラは前作より倍増、ケビンの仕掛けるイタズラの殺傷力も倍増してもはやデストラップで、泥棒コンビの方が一方的に命がけなトラップバトルは大笑い。そして笑った後に、少しだけホロリとさせられるクリスマス映画なのだ。
(さわだきんた)
我が道を往く
NYの貧乏教会に派遣された型破りな若手牧師が色んな人をお助けする名作。主人公を演じたビング・クロスビーは『ホワイト・クリスマス』などのヒット曲で知られる歌手兼俳優で、本作でアカデミー主演男優賞を獲得した。この映画でも存分に美声を生かした歌唱シーンがあるのだが、唐突に歌いだす不自然さは無し。近所の悪ガキを集めて聖歌隊を結成したり、歌手志望の家出娘を指導したり、実に自然な流れで登場人物が歌う。
ビング・クロスビーは演技派でもないし、二枚目でもないし、正直大した俳優ではないのだが、歌唱シーンになるとさすがの美声で観客を引き付ける。実力以上の演技を引き出した脚本が素晴らしい。 ちなみに『ホワイト・クリスマス』は世界で最も売れたシングル(5000万枚!)のギネス記録を持っている。あんなたわいもない曲が5000万枚なんて、昔のアメリカ人はよっぽど聴くものがなかったのだろうか・・・と思ったが、日本でもぴんからトリオの『女のみち』や殿様キングスの『なみだの操』みたいな曲がバカ売れしたのだから、どうこう言える立場ではない。
ちなみにこの曲はベトナム戦争でサイゴン陥落(1975年4月)の時に、米軍が撤退する合図として使われたという面白い逸話がある。春にラジオでクリスマスソングが流れるのは変=異常事態という理由からだそうだ。日本軍も満州で負けた時にラジオで『殿様キングス』を流すべきだったのかもしれない。
(アタイサン)
キング・オブ・キングス(1927)
『ホワイト・クリスマス』が世界で一番売れた曲なら、こちらは世界で一番鑑賞された映画かもしれない。一説によると5億人が見たそうだ。元祖ハリウッド豪華王ことセシル・B・デミルによるイエス・キリストの人生を描いた本作、サイレント映画で2時間半あるなんて絶対かったるいじゃんと侮ることなかれ。ラザロの復活や「罪のないものだけが石を投げなさい」など有名なエピソードをテンポよく見せてくれる。
長髪ヒゲの貧乏・宗教・クリスマス誕生日おじさん(イエス・キリスト)が主人公でも、デミルの豪華さは一切手加減なし。最初の10分で腐敗した大金持ち・大量の召使い・ほとんど裸の恰好の女・ヒョウ・シマウマの馬車が出てくるのだからこの時点で『RRR』には余裕で完勝、我々に「格の差」というものを教えてくれる。また市街地や教会のセットは巨大すぎて恐竜の様な迫力。目玉であるキリストの復活シーンは2色テクニカラーで撮影されており、キリストが息を吹き返すと共に、世界も色づくという映画ならではの演出も見ごたえがあり、20世紀を代表する宗教画のような風格がある。
ところでお気づきだろうか。『キング・オブ・キングス』というタイトル、日本語に訳すと・・・殿様キングス!?
(アタイサン)
C.R.A.Z.Y.
1960年代のカナダ、ケベック州のクリスマス。この日、ボーリュー家の四男、ザック君はこの世に生を受けた。
彼は、クリスマスに誕生したことと、生まれつき襟足の髪の毛の色が変わっていることから、「特別な子」と勝手に持ち上げられる。 才能溢れるが、変わり者の兄弟に混じって、育てられてた彼は、同性に恋をしたことで人生が変わり始める…。
ザック君は自身のセクシュアリティに戸惑いながらも、真っ直ぐに自分らしく生きようとする。保守的な父や意地悪な兄達は、ザック君に対して「女々しい奴」と冷たい。
でも、この五兄弟の中で一番精神的に成長したのは彼だと思う。他の兄弟達のようにスポーツや頭脳に秀でている訳ではないが、自分らしさに気付き、紆余曲折を経て自分自身を大切にすることを学んだ彼の今後の道は、きっと明るいはずだ。
「主人公がクリスマスに生まれた」ってだけで「クリスマスに見たい映画」特集として紹介したのだが、作中でザック君の誕生日と同時に催される、ボーリュー家のクリスマスパーティー(兄弟同士の仲はそんなに良くないけど、毎年開催されるクリスマスパーティーに、なんだかんだ言って皆集まってくれている)や教会での華やかなミサ(カトリック教会なので、聖歌隊も含めて豪華絢爛!)は見ていて楽しい。
また、ザック君の音楽への偏愛(デヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズ、ピンクフロイドなど)シーンも、見ていて微笑ましく、保守的な家庭でのささやかな反抗として、レコードプレイヤーで、恍惚とした表情でロックに聴き入る姿も印象的だ。
フランス系移民の多い、ケベック州が舞台なので登場人物達は皆フランス語話者。 そのせいか、ヨーロッパ映画のようなユルい雰囲気で楽しめる。
(倫敦症候群)
THE ビッグ・オー
『マルタの鷹』ミーツ『ウルトラQ』な、究極のTVアニメーション。本シリーズの第11話がクリスマス回にあたる。
この街の住人は40年前に全ての記憶を失っている。それでも祝われるクリスマス的な何か。通りでサキソフォンを吹く若者がいる。本エピソードでは彼とパートナーの暮らしぶりが示される。彼らはエコ・テロリズムに巻き込まれてしまう。自由落下する彼を救うのがビッグ・オーなる巨大ロボット。 本シリーズはサンライズ制作のロボットアニメなのだった。
主人公格にあるのは交渉人のロジャーとアンドロイドのドロシー。彼ら二人の軽妙なやり取りと、少しずつ変化していく関係性が魅力的だ。ほとんど一話完結でありつつ、ここまで10エピソードに渡ってドラマを積み重ねてきた。その上でのクリスマス回。連ドラかくあるべし。
本エピソードの終わりに、若者は『ジングル・ベル』を吹いている。その余韻を引き継いでエンド・クレジットが始まる。モータウン・デュエット的な美しさを持ったヴォーカル曲が流れる。このエンディング曲は2シーズンに渡って使用され、最終回まで変更されることはなかった。そのことが本シリーズを特別なものにしている。
(コーエン添田)
トイズ
クリスマスといえばオモチャということで『トイズ』なのだがオモチャ工場を舞台にしたこの映画、子供の頃にビデオがすり切れるほど見た。何が楽しいってクライマックスのオモチャバトル。オモチャ工場を軍事転用して兵器オモチャを作ろうとする新経営者を追い出すべく工場創業者の息子ロビン・ウィリアムズがオールドスクールな動くオモチャたちをかき集めて兵器オモチャ相手に戦争を始めるのだが、そのミニミニスケールのカタストロフィーは幼き日を俺を完璧に魅了した。画面を埋め尽くす色んな種類の動くオモチャたちと破壊、破壊、破壊!当時はそんなことは考えていなかったかもしれないがシンバルを鳴らすお猿オモチャが兵器オモチャをシンバルで挟んでやっつける場面など、力なき者たちの決死の抵抗といった趣で実に痛快かつ泣けてしまう。
それ自体がオモチャのようなオモチャ工場のカラフルで奇抜なビジュアルは楽しく、MTVを利用して監視の目をかいくぐるアイディアなど、映像的にもシナリオ的にも遊び心がいっぱい。ロビン・ウィリアムズのオモチャ大好き無垢大人も見事にハマって、ハンス・ジマー&トレヴァー・ホーンという今からすれば夢のようなタッグのキラキラ80sサウンドトラックがオモチャ戦争を盛り上げる。監督バリー・レヴィンソンの個人的最高傑作だ。
(さわだきんた)
P2
クリスマスイブの夜、キャリアウーマンのアンジェラは残業をしていた。やっと仕事が終わり家族とのクリスマスパーティーへと急ぐがなんと車のエンジンがかからない! 自家用車は諦めてタクシーを配車したのに今後はなぜかビルから出られない! 唯一会社に残っていたのは地下駐車場を管理する夜勤スタッフの男で…。
『ハイテンション』などで知られるアレクサンドル・アジャが製作/脚本に参加しているだけあってスリリングかつ頭部破壊や人体破損描写に抜かりがない。さらに地獄の警備員・トムはミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』の2人を連想させる話の通じなさ。序盤、家路に急ぐアンジェラに突然「実はクリスマスの食事を用意しているんだけど、一緒にどう?なんてね、冗談だよ。」と言いながら、目がガンギマリなのが絶妙にリアルで怖い。サスペンスとしてはもちろん、ストーカー映画として群を抜いた不快さだ。広い地下駐車場は逃げ場がたくさんあるようで意外とない。駐車場の寒々しさと逃げ場のない閉塞感が精神をキリキリと追い詰める。ビルの設備を知り尽くしたサイコパス警備員VSバリキャリ女性社員。果たして無事に退勤(脱出)できるのだろうか…。2022年のクリスマスは土曜日だが、お仕事の方は帰り道にお気をつけください。
(心理)