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映画の世界の片隅で

【映画の世界の片隅で】7人目 『ロッキー』でロードワーク中のロッキーにオレンジを投げた青果店の店主

映画はシリーズを重ねると得るものもあれば失うものもある。スピンオフの『クリード』シリーズを含めれば都合8本にも及ぶ続編が現在までに制作されている大人気シリーズ『ロッキー』の場合、失ったもののひとつは間違いなく個性豊かな脇役たちだろう。初代『ロッキー』には実に多くの魅力的な脇役が登場する。内気だが聡明なペットショップ店員エイドリアン、その兄で粗野だが気の良いポーリー、下町ボクシングジムの名伯楽ミッキー、ロッキーが下働きをしている地元ヤクザのガッツォ、そして忘れてはならないのがこの人、商店街をロードワーク中のロッキーにオレンジを投げて寄こした青果店の店主だ。

この店主がどんな人物かは画面に顔も映らないので実のところまったくわからない。ただわかっているのはこの店主、どうやらロッキーを映画のキャラクターではなく本当のボクサーだと思って「頑張れよ」とオレンジを渡したらしいということ。当時ロッキーを演じたシルヴェスター・スタローンは無名の役者。加えて、ロッキーが地元フィラデルフィアの街中でロードワークするこの場面は最小限の撮影機材とスタッフでゲリラ撮影されたもの。『ロッキー』の数多い名場面のひとつは埠頭を走るロッキーが停泊中の貨物船を見て全速力で抜き去るシーンだが、これも脚本に書かれたものではなくゲリラ撮影中にたまたま貨物船が監督ジョン・G・アヴィルドセンの目にとまり即興的に付け加えられたのだという。青果店の店主が勘違いするのも無理からぬことだろう。

『ロッキー』が公開されたのは1976年、ボクシングがいわゆるプロスポーツにはまだ完全には成りきれず、興行とプロスポーツの狭間にあった時代のこと。その時代、ボクサーとしてプロの大舞台を目指すことは持たざる者にも開かれた数少ない成功への道。今だってプロボクサーへの道は誰にでも開かれているとしても、かつてのようにそれで一財産を築くというような夢を見ることは難しいだろう。ボクシング人気の低迷の問題もある。ファイトマネーの低下の問題もある。引退後のキャリア形成が難しいという問題もある。しかしそれ以上に、今のボクシングはプロスポーツになってしまった。何処の馬の骨とも知れない学もなく金もなく華もなくただ腕っ節の強さだけが自慢の若者が拳ひとつでスターダムにのし上がる、それはボクシングが興行とプロスポーツの狭間のいささかいかがわしい領域にあったからこそ可能だったことで、亀田興毅や内藤大助のような少数の例外こそあれとうに過ぎ去った夢だ。

その夢がリアルに生きられた時代、その夢は決して選手だけのものではなかっただろう。選手を育成するトレーナーやジムの同門、アルバイト先の同僚や家族、近隣住民やあるいは選手と同じ人種・民族・社会階層の人々。ボクシング選手に限らず野球選手や相撲取りもそうだったかもしれないが、その才能以外にこれといった資本を持たないスポーツ選手が、彼や彼女と同じように持たざる人々の希望を背負う。そしてその闘いを通して彼や彼女は伝えるのだ。諦めるな。まだ俺たちの人生は終わっちゃいない。まだ負けてはいないんだ。

スタローンのもう一つの代表作『ランボー』同様に『ロッキー』にも以降のシリーズ作には受け継がれなかった要素がある。それはロッキーが持たざる人々のために、あるいはそう意識することはなくても結果的に持たざる人々と共に、その一員として闘う、という点だ。『ロッキー』におけるロッキーはヒーローではなくうだつの上がらない三流ボクサーに過ぎない。動きは鈍く目に光はなく地元ヤクザ・ガッツォの下で借金の取り立てをして糊口を凌いでいるチンケな男。彼はフィラデルフィアの街を根城とする無数の名も無き人の一人でしかない。だからこそ、ロッキーが世界チャンピオン・アポロの気まぐれで実現したエキシビション・マッチに人生の全てを賭けた時、人々はロッキーを心から応援する。ロッキーの闘いは同時にフィラデルフィアの無名の人々の闘いでもあったのだ。

「ほら、頑張れよ」と声には出さずともおそらくはそんな気持ちでフィラデルフィアの青果店の店主がロッキー=スタローンにオレンジを投げる場面はそのことを示すささやかにして真に感動的な映画的瞬間だ。なにせそれは狙って作られたものではない偶然の産物なのだ。そこには無名の庶民の生の姿が、あるいはある時代の夢の形が見事に映り込んでいる。これは以降のシリーズ作には二度と入り込むことのなかったものだ。

映画の世界の片隅で、青果店の店主がオレンジを投げて渡している。ただそのことが他の何にも代えがたく、映画に永遠の輝きを与えることだってあるのだ。

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ゆるふわ映画感想ブログ映画にわか管理人。好きな恐竜はジュラシックパークでデブを殺した毒のやつ。Blueskyアカウント:@niwaka-movie.com