【放言映画紹介 ウチだって社会派だぜ!!】第14回 たった一つの冴えたやり方!マンガ実写化改変問題×『親指スターウォーズ』
『セクシー田中さん』ドラマ版のトラブルがきっかけで、漫画の実写化が大炎上している。詳しい経緯は改めて説明するまでもないが、原作者の自殺という最悪の結果になってしまった。
SNS上では小説家・漫画家などの原作者サイドから、TV局・出版社に対する不満の声が噴出している。とにかく放送枠を埋めたいTV局、原作を売りたいだけの出版社、流れ作業で書かされる脚本家、突貫スケジュールでの制作を強いられる実写化スタッフ・・・
などなど様々な「関係者」の間で、生みの親である原作者が苦しむ構図・・・何とかならぬものだろうか。本来実写化はヒットした原作に対するご褒美だったはずだ。それがなぜ、ファンや原作者にとってこんなにも過酷な「試される大地」になってしまったのだろう?
今回ご紹介するのは、そうした実写化トラブルに対する完璧な解決策を提示してくれる映画である。
その名も『親指スターウォーズ』(99)。『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(99)の公開に合わせて制作された作品だが、タイトル通り『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(78)をベースに人間の親指で再演する人形劇(?)の珍品である。
ルーク・スカイウォーカーもレイア姫もハン・ソロもオビ=ワンもサムズアップした人間の親指が演じている。シャバ・ザ・ハットも出てくるが、こいつは人間のアゴが演じている。もっと上手く説明したいのだが、本当に人間の親指なのでこれ以上説明のしようがない。
なんだそりゃと言いたくなるような作品だが、題名だけの出オチにあらず。親指についている目・口などはCGで合成されているので実によく動くし、セットや衣装などもまあまあ緻密に制作されている。チープではあるが情けなくはない。空戦シーンは残念ながらCGだが、見れば必ず意外とよくできてんな(笑)と思うであろう快作だ。
全編そのままそっくり再現というわけではなく、見どころを抜粋して親指化しているので30分にまとまっている。さすがに親指ネタで1時間30分持たせることはできないと承知しているのだろう。分をわきまえた態度も好感が持てる。ちなみに主人公の名前はルーク・スカイウォーカーではなく、ローク・グラウンドランナー。ハン・ソロはハンド・デュエットという名前に改変されている。い、いらぬ遊び心・・・。
この『親指スターウォーズ』以外にも『親指タイタニック』『親指バットサム』なる姉妹作も存在する。百聞は一見にしかずということで、気になる方は是非トレーラーをご覧になって下さい。
この『親指スター・ウォーズ』に倣い、これからの実写化は人間の俳優を使わず、全て親指に演じさせるのはどうだろうか。ストーリーやキャラクターが多少原作から改変されてようが、まぁ親指だしな・・・イメージと違う映像も、まぁ親指だしな・・・で済んでしまう。
何ということだろう!全ての違和感が「まぁ親指だしな」で許されてしまう!TV局、原作者、出版社、読者、視聴者、スタッフ・・・ありとあらゆる立場の人を満足させる実写化はこれしかないと言えるだろう。親指五条悟の領域展開、見たいです!
そして何より、親指界には吉本興業もジャニーズ事務所も存在しない。主人公がいつのまにか山崎賢人になることもない。しがらみだらけで面白いものを作れない人間芸能界と比べ、親指界のなんと自由なこと!まぁ山崎賢人の親指が主演という可能性は、ありますが・・・
話は変わるが、皆さんは18世紀英国の小説家・劇作家であるヘンリー・フィールディングをご存知だろうか。『トム・ジョウンズ』『ジョウゼフ・アンドルーズ』等の作品で知られ「英国小説の父」とも称せられる巨匠だが、彼はイギリスの民話「親指トム」を元に、『悲劇中の悲劇、親指トム一代記』なる戯曲を残している。数々の冒険を経て英雄になった親指トムがお姫様と結婚する話なのだが、これが世紀の怪作と言っていい大変な代物なのだ。
ある日、トムの舅であるアーサー王の前に、親指トムの父を名乗る幽霊が現れる。幽霊は不吉な予言を残し去っていったが、その後トムは牛に飲み込まれて事故死してしまうのであった!
その悲しい知らせを宮中に届けた家臣ヌードルは、トムを愛していた王妃ドラロラに殺されてしまう。王妃はヌードルの恋人の女官クレオラに殺され、クレオラはトムの妻であるハンカマンカ姫に母の仇討ちで殺され、ハンカマンカ姫は家臣ドュードルに一方的な痴情のもつれで殺され、デュードルは彼に片思いしていた女官ムスターシャに殺され、ムスターシャは汚い殺人犯として王に殺され、一人残された王は自殺する。
参考文献
能口 盾彦(2007),「フィールディング劇管見(その1)『親指トム一代記』から『悲劇中の悲劇、親指トム一代記』へ」『言語文化 = Doshisha studies in language and culture』10巻,1号
ど、どういうことですか?
我々が慣れ親しんだ近代文学のルールとは趣を異にする・・・というレベルではない。
親指トムに似つかわしくないドロドロ殺人劇の上に、意味不明な展開の数々である。最後に全員死んだらバカウケするだろうな(笑)という巨匠のやっつけ仕事にしか見えないのだが・・・逆に考えてみよう。この作品は親指作劇の幅の広さ、ポテンシャルを感じる物語ではないのか!?
そう、先人は既に「やっている」のだ!
親指という巨大な枷を最初にはめることで、我々は無限の翼を手に入れられるのである。
親指さえ出てれば良し!あとは不問!まるで往時の日活ロマンポルノのような環境、親指ルネッサンスの到来である。クリーンで持続的な実写化には親指が不可欠であると言えよう。
(注:親指トムは親指と同じくらいの大きさだから親指トムと呼ばれてるのであって、親指そのものだから親指トムと呼ばれているのではありません。)
(注:『悲劇中の悲劇』はもっと長大な話らしいのですが、英語文献を調べても断片的なあらすじしか出てこない上にそれもまったくもって意味不明なので、実際どういう話なのかよくわかりません・・・)