【こないだビデマでこれ買った】Vol.38 『The Rain People』(邦題:雨のなかの女)を買った
今年のカンヌ国際映画祭で物議を醸しアメリカで公開されるや興行的大失敗となったという最新作にして一大野心作Megalopolisの日本公開も待ち遠しい(されるのか?)フランシス・フォード・コッポラといえば『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』といったアメリカ映画史上の記念碑的大作がなにより先に頭に浮かぶ。しかし個人的に素直に面白いなと一見して感じたコッポラ監督作は実は『カンバセーション…盗聴…』。コッポラの名声を決定的なものとした『ゴッドファーザー PARTⅡ』と同時期に撮影された小品といっていいニューロティックなサスペンスだが、近々劇場で『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』(『ワン・フロム・ザ・ハート』の再編集版)、『ハメット』と共にコッポラ小特集的にリバイバル上映されるらしいので、根強い人気があるようだ。
元々ロジャー・コーマンの下で働いていたことも関係しているのか、大作だけではなくこうした規模の小さい映画も案外得意なコッポラ。そういえばその初期作は商業デビュー作『ディメンシャ13』ぐらいしか見たことないな・・・ということでフィルモグラフィーを眺めると見慣れないタイトルがある。それがこの『雨のなかの女』、脚本担当作『パットン大戦車軍団』でエドマンド・H・ノースと共にアカデミー脚本賞を手にする直前の1969年に公開された、巷で言うところのアメリカン・ニューシネマの一本。日本では2011年に一度DVDが出たらしかったが現在廃盤で国内盤はプレ値になっているよう。こういう時に頼りになるのがビデマさんだ。なにせ、置いてないだろうから注文しようと思ったら在庫ありますよと持ってきてくれたので。
ということで見てみるとニューシネマと呼ばれるだけあっていかにもそれらしい出だし、ある雨の日の朝、主人公の主婦ナタリーは「愛してた」の書き置きだけを残して家を飛び出し、車ひとつでアメリカ放浪の旅に出る。どうやら彼女は妊娠しているようで、明確な理由は自分でも言えないが、それが家を出た原因のようだ。道中、ナタリーはヒッチハイクをしていた元アメフト選手の青年を拾い、終わってしまった青春をやり直し、あり得たかもしない人生のifを歩もうとするかのように、彼と恋愛関係になっていく・・・が、ニューシネマなので二人の傷心者を待ち受けていたのは人生の隘路なのだった。
日本でアメリカン・ニューシネマと呼ばれる1967~1970年代(主に前半)の芸術志向の強い低予算アメリカ映画の成立条件としてしばしば挙げられるのは大手スタジオの経営難やシャーリー・クラーク、ジョン・カサヴェテスら1960年代に大手スタジオ外で実験的な作品を作っていたインディペンデント監督の影響、そして撮影機材の機能向上による小編成スタッフでの屋外ロケが可能になったことらしい。この『雨のなかの女』はキャラバン隊を組んで実際にアメリカを旅しながらゲリラ的に撮っていったという撮影手法が当時話題を呼んだそうで、なるほど同様の手法を取った『イージー★ライダー』にちょっとだけ先駆けている(でも日本公開は『雨のなかの女』の方が後)
最後は有名なバッドエンドとはいえ気分的には陽気な『イージー★ライダー』に比べると、こんなタイトルだけあって『雨のなかの女』は最初から最後までどんより模様。どこまでも走り続けることができるがためにどこまで行っても出口にたどり着けないように見えるアメリカの道路が、次第に解放の象徴から迷宮へと変貌していく秀逸な展開は、1968年のシュールなニューシネマ『泳ぐひと』や1970年の主婦の逃避行ニューシネマ『ワンダ』と同じ時代精神を感じさせるし、どこか『カンバセーション…盗聴…』とも通じる。現代のニューシネマ作家というべきケリー・ライカートの『リバー・オブ・グラス』にもその残響を聴き取ることができるんじゃないだろうか。
そう考えれば地味ながら結構影響力の大きいコッポラ初期の代表作だと思うのだが、日本だけでなくアメリカ本国でもソフトはワーナー・アーカイブ・コレクションの一本として「とりあえず出しましたが仕様には一切期待しないでください」状態で出てるだけらしく、今回買ったのもそのBlu-ray。それはなんだかだいぶ勿体ない気がするので、ワーナーが権利保有者なら望みはきわめて薄いかもしれないが、どうでしょう、Megalopolisの日本公開に合わせてリバイバル上映するとか豪華仕様のソフトを作ってみるとかして、このコッポラのあまり知られていない佳作をみんなに改めて見てもらうというのは・・・その前にMegalopolisも日本公開されるのかどうかわからないけど!