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博多ゾンビ紀行

【博多ゾンビ紀行】第2回 ゾンビ映画でありゾンビ映画でない『アルマゲドン・サーガ』が示すジャンルの限界

どうもこんにちは、ハカタです

僕はよく「なぜゾンビ映画を観まくるのか?」ということを考える
その理由の一つは「観れなくなる前に観る」だがもう一つある、それは「ジャンルの限界を知りたい」ということ

ジャンル・・・ジャンルとは何か?ミュージカル、アクション、コメディそしてホラー、それは映画の枠をある程度規定するものだ。しかしたまにその枠を拡張するような映画が現れる。例えばゴダールは『女は女である』でミュージカルでありながら「伴奏っぽいBGMは流れるが登場人物が歌いそうで中々歌わない」「歌ったと思ったらそれまでやかましかった伴奏が急に止まる」などの挑発的な演出を使い、ミュージカルの限界を試すかのような映画を作った。

そして僕が今回紹介する『アルマゲドン・サーガ』もそんなジャンル(とそのファン)の限界を試す、新手のゾンビ映画だった・・・

まず、この映画がどういう映画か説明すると、まず冒頭「ゾンビウイルスにより世界は崩壊、富裕層は空中都市で暮らしていた」という設定が文字で説明され、そういう愚直な手法はどうなんだと思いつつ、まあそういう世界観のゾンビ映画なのだとわかる。
それに加えこの映画はそんな世界を舞台に三章構成で様々な時代と人々を描くオムニバス映画でもあるのだ。

それを踏まえて見始めていくと、荒廃した世界を孤独に旅する男が出てきておぉ〜定番で良いじゃないとまあここまでは良いのだが・・・

そしたらなんかフロムゲーのボスみたいなあんまゾンビっぽくない怪物が出てきて(ん?特殊なゾンビものなのかな?)と思って観ていると、第一章が終わりいきなり時間が飛んで第二章に入ってからは普通のゾンビが出てきてさっきまでフロムゲー的怪物は説明もなく一切出てこなくなり(???)となる。
そして第三章の終末世界での電力を巡るストーリーに至ってはゾンビが全く出てこない!ゾンビの出ないゾンビ映画!芸術かなんかか?

章ごとに設定はチグハグだし、三つの物語に匂わせ程度の繋がりもなくなんじゃこりゃと当然思うわけだが・・・
僕だって伊達にクソ映画観てきてるわけじゃないので、ここで察する、これ別々に作られた短編映画をかき集めて雑に繋げてオムニバスでございと出してきやがったタイプのやつだ…!と。
奴ら(クソ映画製作者)はたまにそういう「手口」を使うから分かる…!(前記事参照

実際IMDbで監督調べてみたらそれらしき短編が三本見つかった。
そして分かりやすいゾンビが出てこず怪しかった第一章と第三章の元短編のあらすじを見たら案の定ゾンビのゾの字も全く無い!
要はモンスター映画や終末世界といった全く違う世界観設定の三本の短編映画を強引に第二章のゾンビ映画と同じ世界観ということにした映画だという事だ。

つまりこれゾンビ映画なのに、ゾンビ映画ですら無いんだよ!!!!!

低予算すぎて出てこないとか、詐欺ジャケ詐欺タイトルとかそういう次元じゃなく、本編でゾンビ映画だと明言されてるのに実際は3分の2くらいはゾンビ映画じゃないんだよ!

今までたくさんクソゾンビ映画観て来たけど、少なくともゾンビ映画ではあったぞ!

この映画の恐ろしいところは、実際Twitterやレビューとかで調べるとこれに気づいてる人があんまいないというところだ。クソゾンビ映画で設定がブレブレだったり、低予算すぎて全然ゾンビ出てこなかったりするのは日常茶飯事なのでそういうものだと受け入れてしまうのだ。
つまりこの映画はゾンビ映画でもなんでもない映画でも、これはゾンビ映画だと言い張れば客を騙せr・・・納得させられると証明した。

そういう意味ではジャンルの限界を拡張する、一個の芸術作品としては確かに得難い映画体験ではあった。確かに全く得る必要性のない体験かもしれないが、そう思いながら観れば楽しいかもしれない。

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