【追悼・石井隆】石井隆全監督作レビュー
元々脚本家・原作者として映画業界に入った石井隆には脚本のみの担当作にも傑作が多い。原作提供のみの作品はともかく、できれば脚本作も加えてレビューしたかったが、数が多く筆者が見られていない作品もあるため残念ながら断念。片手落ちの感もあるが監督作に関してはすべて見ているので全19作品の簡易レビューでとりあえずR.I.P.させてください。
天使のはらわた 赤い眩暈(1988)
ネオン、雨、そして村木と名美。ロマンポルノの掉尾を飾る石井隆初監督作は既にして独特の世界観が全開。行き場を失った男・村木が破れかぶれになって轢いた看護師・名美を廃墟に監禁したらこちらも性犯罪被害に遭って失意のうちにあった。逃避行さえできない二人の交流ならざる交流はなんとも痛ましく、同時に優しい。だがそれを美談にはせず、あくまでも冷徹な眼差しと自己批判を手放さないあたり、石井隆の創作にかける並々ならぬ覚悟が窺える。情けなさの極致のような竹中直人の村木は絶品。
月下の蘭(1991)
『タクシードライバー』に範を仰いだと思われる監督第二作。自らの不手際により妻を失った根津甚八が己の再起をかけてヤクザに拉致されたアイドルを救い出そうとするが・・・。石井隆のトレードマークとなる長回しはここから本格的に登場、アイドルやアイドルのおっかけ青年と根津甚八が川辺で交わす長回しの会話シーンは都市の孤独を見事に捉え、終盤のカチコミアクションを盛り上げる。その結果が男の罪を再確認させる苦いものであることは、石井隆の矜持だろう。
死んでもいい (1992)
風来坊の青年・信(永瀬正敏)が流れ着いたのは夫婦経営の不動産屋。その女主人・名美(大竹しのぶ)に一目惚れした信は不動産屋で働き始め、やがて名美と関係を持つが、そのことが夫(室田日出男)に知られてしまい・・・。不倫殺人をテーマにした実録小説の原作を石井隆は神話的父殺しの物語に換骨奪胎、自然光を生かした佐々木原保志の見事な撮影も相まってこの世ならざる風景が現出している。多くは説明しないが観客が能動的に読み解こうとすれば登場人物の背景が見えてくる技巧的な脚本も、名美のイメージを一新する大竹しのぶの人妻芝居も素晴らしい、石井隆初期の傑作。
ヌードの夜(1993)
なんでも代行屋の村木(竹中直人)のもとに東京観光案内の依頼が入る。依頼主は名美(余貴美子)。簡単な依頼かと思われたが実は名美には村木に隠した別の狙いがあり・・・。過剰なキャラクター、過剰なネオン、過剰な雨、過剰な闇。すべてが過剰な都市の中で村木と村木の暮らす半廃墟だけは何の色もない空虚にある。自ら進んで堕ちることで逆説的にただ一人だけ地獄めいた都市迷宮からの脱出を試みる名美は村木にとって重荷のようで自分を虚無から引き上げる光に他ならない。絶望の底で足掻く村木と名美の姿があまりに切なく美しい、石井隆の代表作。
夜がまた来る(1994)
潜入捜査官の夫を殺された名美(夏川結衣)は復讐を誓い組に潜入するが、組長(寺田農)の首まであと一歩というところで目論見がバレてしまいシャブ漬けにされた上で風俗に落とされる。名美を不憫に思った組員の村木(根津甚八)は彼女を救い出し復讐に協力するが、それは名美にとって更なる地獄へ続く道だった・・・。夏川結衣の闘争的な熱演、根津甚八の硬派な色気、笠松則通のシャープな撮影とカスタネットの音色が印象的な安川午朗の情熱的なサウンドトラックを得て、石井隆のノワール作品ではベストの完成度を誇る逸品。劇画的なクライマックスに続く「もう夜は来ない」エンディングがひたすら悲しい。
天使のはらわた 赤い閃光(1994)
カメラマンの名美が目を覚ますとそこはラブホテルの一室。傍らには男の死体が、そして盗撮用を思しきビデオカメラが。いずれもまったく記憶にない。名美は編集者の村木の協力を仰ぎ現場に残されたビデオテープから事件の真相を解明しようとするが・・・。『天使のはらわた』シリーズ最終作は結末こそ凡庸だが謎のビデオテープや正体不明の脅迫電話といった道具立てがニューロティックな雰囲気を醸成し、デヴィッド・リンチ監督作『ロスト・ハイウェイ』(1997)を彷彿とさせる異色作。怪しい人々、冷たいビル群、その間に落とし穴のように空いた都市の不条理を描いた、悪夢めいた一編。
GONIN (1995)
借金や殺人など様々な理由で首の回らなくなった5人の男たちが再起をかけてヤクザ事務所の強盗を計画。なんとか成功するもののヤクザが雇った異形の殺し屋(ビートたけし)が彼らに迫り・・・。佐藤浩市、本木雅弘、根津甚八、椎名桔平、竹中直人、そしてビートたけしの豪華キャストで贈る多分石井隆のフィルモグラフィー中で最大の大作。堕ちていく男たちの絶望的な悪あがきと容赦のないバイオレンスが目にしみる。表面的にはノワールだがその裏には怪談話がへばりつき、黒沢清もびっくりの幽霊的描写も随所に見られる本当は怖い石井隆映画です。
GONIN2(1996)
前作『GONIN』が男5人の話だったので続編は歴代名美役者揃い踏みの女5人もの。偶然にも訪れた宝石店で強盗に遭遇した大竹しのぶ、夏川結衣、余貴美子、喜多嶋舞、西山由海の5人が犯行に乗じて宝石を奪ったことからヤクザに付け狙われ、壮絶な死闘へと突き進んでいく。暗く感傷的なムードだった前作に対してこちらはバイオレントな展開にも関わらずどこかユーモラスで希望が感じられる作りになっているのが特徴。連帯できない男5人と違って女5人は連帯できることがその所以か。石井隆作品としては例外的なかしましく楽しい映画になってます。
黒の天使 Vol.1(1998)
幼い頃にヤクザの両親を内部抗争で殺された一光(葉月里緒菜)は”黒の天使”の異名を持つ殺し屋の魔世(高島礼子)に救われ渡米、やがて自身も女殺し屋に成長して因縁の地・東京へと舞い戻ってくる。目的はもちろん両親を殺した裏切り者ヤクザへの復讐。着々とターゲットに近づいていく一光だったが・・・。劇画アクション路線の石井隆映画としてはこれが頂点。蝶のように舞い蜂のように刺す葉月里緒奈の存在感が素晴らしく、メカニカルに設計された佐藤和人による撮影は、とくに終盤のビル内でのアクションシーンが『ザ・ミッション 非情の掟』などのジョニー・トー作品を彷彿とさせる。ラストシーンでの一光の叫びはゼロ年代以降の石井隆映画にまで谺する、石井隆映画の主題が凝縮されたものだ。
黒の天使 Vol.2(1999)
”黒の天使”魔世を天海祐希が演じたシリーズ2作目は、天海祐希の身体能力を生かしたアクションシーンも存在するものの、主眼はノワールなメロドラマ。暗殺に失敗した殺し屋、そのターゲットのボディガードを務める男、彼の放った流れ弾により夫を亡くした女の三者の運命が絡み合っていく。ヤクザの寺島進に弄ばれる未亡人の片岡礼子は石井隆映画史上屈指の悲劇的な運命を辿り、殺し屋の天海祐希は孤独と罪悪感に苛まれながら負のスパイラルを突き進んでいく。とにかく誰も幸せにならない物語が観る者の気分をどんよりと沈ませる、美しくもダークな一本。
フリーズ・ミー(2000)
会社員のちひろ(井上晴美)は恋人との結婚も決まり幸せの絶頂。そんな彼女の前にチンピラ男(北村一輝)が現れる。彼は数年前にちひろをレイプした3人組の1人で、撮影したレイプ映像で彼女を強請るのだったが、ちひろは咄嗟に彼を殺害してしまい・・・。石井隆が新境地を開拓した一種の密室劇は主演も金髪ベリーショートの井上晴美とこれまでの石井映画のヒロインとは一線を画す。1人また1人とレイプ犯が殺されていくその過程はサスペンスフルでありつつどこか童話的なユーモアも漂わせ、これまでとは違った映画をという石井隆の意気込みが感じられる。井上晴美の熱演はもちろん、全裸でマンションの廊下にビラを撒く北村一輝の怪演も見所。
TOKYO G.P.(2001)
ラッパーZEEBRAと元SPEEDの島袋寛子(hiro名義)の中編プロモーション映画。ストーリーはおそらく『ウォリアーズ』を参考にしたもので、ZEEBRAとhiroが夜の東京ストリートを舞台にしたデスゲームに参加させられ、敵対するチーマーたちやヤクザたちを倒しながらゴールへと向かう。プロモーション映画だけあってさすがにストーリー面で見るべきところは少ないが、スモークや照明を効果的に用いたケレン味たっぷりの絵作りは劇画的ハードボイルドでカッコ良く、ZEEBRAと真木蔵人が死地へと赴くラストには石井隆のノワール美学が詰まっている。『花と蛇』でも狂言回しを務めることになる伊藤洋三郎の珍妙なDJ狂言回しはある意味必見。
花と蛇(2004)
ダンサーの静子(杉本彩)は病魔に冒された老ヤクザ(石橋蓮司)に目を付けられ拉致監禁されてしまう。そこで彼女を待っていたのは想像を絶する責め苦と快楽の世界であった・・・。石井隆が幾度も脚本を担当している団鬼六の同名シリーズの映画化だが、そのタイトルから想像されるようなSM行為の魅力・魔力はあまり感じられず、女を支配しようとする男と支配されまいとする女の観念的な戦いがSM行為を通して描かれる。その関係はやがて自らの生を謳歌しようとする母と母の生を我が物としようとする子供の関係へとスライドし、その後の傑作群を予感させる神話的な広がりを作品に与えている。
花と蛇2 パリ/静子(2005)
静子役は杉本彩が続投しているがストーリーは無関係のシリーズ2作目。性生活の不安から若い妻・静子との関係破綻を恐れる美術評論家の夫(宍戸錠)は彼女をパリ在住の新進画家(遠藤憲一)のもとへと向かわせる。夫は彼に静子のSM写真を撮るよう要求していたが・・・。鏡や写真といったモチーフを介して本物と贋作、男らしさと女らしさ、妄想と現実、サディズムとマゾヒズム、シリアスとユーモアなど、様々な二項対立を攪拌し脱構築していく、石井隆映画の極北といえる孤高の実験作。もはやどこが『花と蛇』なのかはわからないが安川午朗のサウンドトラックもムーディーで必見です。
人が人を愛することのどうしようもなさ(2007)
元アイドルの女優・名美(喜多嶋舞)は夫との関係の破綻や新作のプレッシャーで次第に現実を見失っていく。己を取り戻すために夜な夜な病院の廃墟で身体を売る名美を、アイドル時代の彼女のファンだったマネージャー(津田寛治)は密かに見守っていたが・・・。『花と蛇2 パリ/静子』で見せた実験性を名美の物語に持ち込み、迷宮的な何重もの入れ子構造の中で名美と村木の物語をセルフパロディにしてしまう、石井隆版『マルホランド・ドライブ』といえる不条理サスペンス編。実験的なコンセプトでありながらマネージャーの女優への一途な愛と献身に泣き、女優の精神的混乱と痛みにも泣かされる、実験性とメロドラマ性が見事に融合した珠玉の一本。
ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う(2010)
『ヌードの夜』の直接の続編。名美を失った過去を忘れるために村木の名を捨て紅次郎を名乗っていた村木のもとに1人の若い女性が現れる。彼女、れん(佐藤寛子)は遺失物探しを村木に依頼するのだったが、その本当の目的は別にあり・・・。『人が人を愛することのどうしようもなさ』が名美との決別宣言なら、こちらは村木との決別宣言。物語の主人公といえるのは村木ではなくれんの方で、母と姉の命ずるがままに殺人と死体遺棄を繰り返している彼女の自由への渇望が物語を動かしていく。大谷資料館の採石場でロケを行ったクライマックスが神話そのもので物凄い。
フィギュアなあなた(2013)
冴えない会社員の健太郎(柄本佑)はある日廃墟のマネキン置き場で生きている女性型のマネキン(佐々木心音)を拾う。自由に宙を舞い健太郎を邪魔する者はスーパーパワーで成敗してくれるマネキンを健太郎は持ち帰り甲斐甲斐しく世話をするがなかなか意思疎通をすることはできない・・・。『天使のはらわた 赤い眩暈』のアザーサイドないしセルフパロディ的な一作。オタク文化を皮肉ったようなタイトル、ユーモラスでファンタジックな映像、同時期に撮影していた『甘い鞭』の主演・壇蜜がエンディングで佐々木心音に花束を渡すメタフィクショナルなオチなど、遊び心に溢れてます。
甘い鞭(2013)
高校生の頃に男に拉致監禁された過去を持つ奈緒子(壇蜜)はそのトラウマ的な体験から昼は産婦人科医として働き夜はSMクラブでMになる二重生活を送るようになっていた。そんな彼女のもとに異常にサディスティックな客が現れ・・・。大石圭の同名小説を原作にした石井隆のSMシリーズ総決算。監禁陵辱によって母との絆が断ち切れてしまったことに深い罪悪感を抱いた主人公が自罰意識から自己破壊行為としてのマゾ役を演じる物語には、石井隆がSMというモチーフに何を見ていたかが端的に表れている。凄惨なラストに続く一筋の救済に、涙。
GONIN サーガ(2015)
『GONIN』の事件で人生を狂わされた事件関係者の子供たちがあたかも親たちの行動をなぞるかのようにヤクザへの復讐を計画する。果たしてその顛末は・・・。『GONIN』シリーズの完結編でありつつ新たなる石井隆ワールドの出発点にもなるはずだったこの作品が残念ながら石井隆の遺作になってしまった。東出昌大や土屋アンナら新世代のスターに佐藤浩市や竹中直人、そしてこの頃すでに重い病に伏していたが気迫で現場復帰を果たした根津甚八ら『GONIN』組も合流し、重層的で絢爛たるノワール世界が現出。スプリンクラーの雨が降りしきる中での銃撃戦など様式美を極めた映像表現は言うまでもなく必見だが、子供たちが親世代の負の遺産を精算しようとする物語には従来の石井隆作品にはあまり見られない力強さがあり、こちらも必見。そして忘れちゃいけない福島リラが演じる殺し屋のかっこよさ!