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ウチだって社会派だぜ!!

【放言映画紹介 ウチだって社会派だぜ!!】第6回前編 ポリコレ議論に先人あり!黒人エルフ事件×『ウィズ』

 

 世は配信戦国期である!ネトフリ幕府一強時代は終わり、アマプラ・ディズニープラス・HBO Max・U-next・アップルTVなど、新たなる勢力がしのぎを削るストリーミング乱戦時代に突入した。勝利のカギを握るのは各社オリジナルのドラマ大作である。

 前時代のストリーミングサービス、特にネトフリは『オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック』(13-19)や『マインドハンター』(17-19)など作家性が高く通好みの作品を得意としてきたが、ここ最近は各社とも大作志向が目立つ。派手なプロモーションで視聴者を囲い込み、やたら長い話でみんなの自由時間を吸い取ろうってワケだ。悪魔か?

 特に今年の目玉と言えば、もちろんアマプラ製作『ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪』だろう。
なんと製作費4000億円超(シーズン5まで)。それだけの金があるんなら何かもっと有意義な別なことに使えないものだろうか。欠食児童に飯を食わせてやるとか、可哀そうな犬や猫のおうちを作ってやるとか、ウクライナ軍に戦車を買ってやるとかさ。

 華々しくスタートした『力の指輪』だが、ネット上ではちょっと困った事件が起きている。髭のないドワーフ女性や有色人種の俳優が演じるエルフなど、いくつかの設定が一部のファンから「原作改変」として批判の的となったのだ。特に日本版ツイッターではエルフ問題に話題が集中し「ポリコレに屈した」「ファンタジー以外でやれ」といった偏差値の低い意見から「エルフは他の種族を見下している傲慢な連中だから有色人種が演じたら意味が変わってしまう」といったもっともらしい意見まである。正直指輪素人からするとどうでもいいのだが・・・。

 しかもこの論争、同じく黒人キャストによる実写版『リトル・マーメイド』にも飛び火しているのだからますます泥試合。『ロード・オブ・ザ・リング』に指輪の持つ魔力に魅了され、醜い怪物と化したゴラムというキャラクターがいたが、インターネットには人をゴラムに変える悪しき指輪が存在するのだろうか・・・?しかも「いとしいしと」しか喋れないゴラムと違って、ネット民はやたら饒舌なのでよりタチが悪い。(人のこと言える立場じゃないが!)

 (ちなみに黒人エルフ・アロンディルを演じている俳優のイスマエル・クルス・コルドバはアフリカ系プエルトリコ人なので正確には「黒人エルフ問題」ではなく「黒人・ラテン系エルフ問題」である。)

 

 さて『力の指輪』に先駆けること44年前、『指輪物語』と同じくらい超有名な原作を超改変しまくったミュージカル超大作映画があったことをご存じだろうか。その名も『ウィズ』(78)。原作はあの名作『オズの魔法使い』である。

 なんとこの作品、オール黒人キャストによる映画化でドロシーもライオンもブリキも魔女も全員黒人。黒くないのは犬のトトだけ!『力の指輪』程度で怒っている人が見たら憤死しちゃうような危険な代物だ。今回はこの映画をご紹介します。


 カンザス・・・ではなくNYハーレムに住んでいるドロシーは御年24歳。自分の家の近所から出たことのない超内気な乙女で親戚の集まりですらうまく馴染めない。そんな彼女が異世界に飛ばされ、銀のパンプスを履いて仲間のカカシ・ブリキ・ライオンと共に旅に出る。

 元の世界に戻るため、エメラルドシティにいる大賢者ウィズを探す一行。行く先々で現れる謎の黄色いタクシーを追いかけ、ついに目的地にたどり着いた。やっと会えたウィズはドロシーたちに「悪い魔女エヴリンを倒せば願いを叶えてやろう」と取引を持ち掛けるのであった。

 えーその後なんやかんやあって悪い魔女を倒すのだが、ウィズの正体はドロシーと同じく現実世界から来た冴えない中年男(元アトランティックシティ議員)だったのだ。元の世界に戻れないの!?と怒るドロシーたちだが、突然登場した良い魔女グリンダの力で無事にNYに帰れましたとさ。


 上記が『ウィズ』のあらすじだ。なんだか子供だましでどうでもいい話なのでだいぶ雑な文章になってしまった。実際本編を見ると「仏作って魂入れず」という言葉がよく似合う空虚な大作映画なのだ。カネを用意したところで往年のMGMの足元におよぶべくもないという良い教材と言えるだろう。

 監督は『十二人の怒れる男』(57)などで知られる社会派映画の巨匠シドニー・ルメットだが、ミュージカルの演出ができるわけもなく、巨大なセットと大量のダンサーを画面に収めるので精一杯といった様子。たまに「ヤバい。人間撮るの忘れてたわ」と言わんばかりに俳優の顔アップが入るのも情けなくって仕方ない。なんだか映画というよりオリンピック開会式の中継を見てるようである。東京オリンピックの真矢みきの踊りの方がまだ見どころがあったかもしれない。

 また撮影や照明がやけに暗い場面があり、リアリスティックな雰囲気を狙っているのかもしれないが、作りこまれたキッチュな衣装や美術には逆効果。単に風景も人間も見えづらくなってしまった。

  俳優陣について触れておこう。ドロシー役はモータウンが誇る大スターのダイアナ・ロス、カカシ役に当時14歳のマイケル・ジャクソン(吹替は保志総一郎)が演じている。その他にもレナ・ホーン、メイベル・キング、リチャード・プライヤーなど往年のスターや実力派がガッチリ脇を固める超豪華キャストなのだが、まず主役であるダイアナ・ロスが明らかにミスキャスト。

 ドロシーは24歳の内気な女性という設定だが、当時ダイアナは貫禄たっぷりの34歳。全身から覇王色の覇気を飛ばしている彼女が「お外が怖い~~」なんてカマトト演技を披露しているのだからお笑いである。年齢の壁は人種の壁以上に厚かった。ちなみに2022年現在満34歳の有名人というと、國母和宏(元祖うっせえわ)・加護亜依(喫煙)・坂本勇人(けつあな確定)など錚々たる顔ぶれが並ぶ。やっぱり無理があるだろ!

 失礼ながら、この映画のダイアナ・ロスは短めのアフロヘアと大きな目のせいでちょっとゴジラの息子のミニラに見えなくもない。(ちなみにマイケル・ジャクソンはかなりちゃんと演技している。しかしカカシ役という役どころのせいであんまり踊ってくれないのが勿体ない)

見ないで描いたミニラと見て描いたミニラ。人の記憶は当てにならないという良い例

 さて、巨額の予算をかけ、鳴り物入りで公開された本作だが結果はもちろん大惨敗であった。なぜこんな映画が生まれてしまったのか・・・?ちょい長くなってしまったので後編に続く!

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ゲームって映画よりも面白れぇな~