【ハロウィン特集2022】影が行く ー『ハロウィン』とマイケル・マイヤースの歩みー
リブート版『ハロウィン』三部作最終章『ハロウィン・エンズ』がいよいよ公開される・・・と思ってこの記事を書き始めたのだが、2022年10月28日現在、日本公開日が未定であることが発覚してしまった。本国アメリカでは既に公開され微妙なオーディエンス評価となっているが、ハロウィンの週末に合わせて日本でも公開されやはり微妙なオーディエンス評価を受けるかと思いきやまさかのと言いたいところだが前作『ハロウィン・キルズ』もコロナ禍もあってか春先に公開されたので、案外日本ではハロウィンに合わせて公開してもらえない『ハロウィン』シリーズなのだった。
出鼻を挫かれたがそれでも『ハロウィン』シリーズがなんたってこのタイトルなのだしハロウィン映画の代表作にして最高峰であることは間違いない。ということで最新作鑑賞のお供にとはいかなくなったが、ハロウィンに合わせてひとつここいらでシリーズの歩みを手短に振り返ってみようと思う。同じシリーズの中に3本も同タイトルの別作品が含まれていてややこしいことこの上ない『ハロウィン』、その鑑賞の手引きとなればこれ幸い(でも配信やソフトで出回っているタイトルが少なくて見たくてもなかなか全作見れないんだよなぁ『ハロウィン』シリーズ)
さて『ハロウィン』の恐怖はイリノイ州ハドンフィールド、1963年のハロウィンの夜に始まる。その日、姉が家でボーイフレンドとイチャついているのを窓越しに目撃した少年マイケル・マイヤースは、ハロウィンの仮面を被るとおもむろに包丁を手に取り、姉をメッタ刺しにして殺害してしまう。動機は不明。以後15年間マイケル・マイヤースは医療刑務所で沈黙を貫き”シェイプ(影)”と化していたが、1978年のハロウィン前日になって突如医療刑務所を脱走、ハロウィンに浮き立つハドンフィールドの町へと向かう。ここに作業服に無貌のマスクという没個性の極致な風貌をし、影のようにどこからともなく現れ音もなく消えていく亡霊性を持った、まさしく人々の心の”シェイプ”たるスラッシャー殺人鬼、マイケル・マイヤースが誕生した。彼がハドンフィールドに帰還を遂げたハロウィン当夜の惨劇が描かれるのが『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』に先駆けてスラッシャー映画の元祖となった記念碑的作品『ハロウィン』だ。監督はこのとき俊英のジョン・カーペンター、主演は『サイコ』のシャワールームで殺される人として有名なジャネット・リーの実子ジェイミー・リー・カーティスが務めた。
その3年後に製作された『ハロウィンⅡ』(別題『ブギーマン』)は一作目の惨劇の直後から物語が始まる。ここでリブート版『ハロウィン』三部作をこれから観る人に注意してもらいたいのが、リブート三部作では一作目以降のすべてのシリーズ作は物語上無かったことにされているということ。『ハロウィン』シリーズは仕切り直しが多くその度に過去作が無かったことにされてしまうので、一作目に続いて主人公ローリーを演じたジェイミー・リー・カーティスも『ハロウィン4』で早くも事故死した設定にされてシリーズ離脱、リブート三部作に先駆けての初リブート作だった『ハロウィンH20』でローリー役としてシリーズ復帰を果たすも、その続編『ハロウィン レザレクション』では冒頭でマイケルに殺害されて再びシリーズ離脱、そしてリブート三部作の第一作目である2018年版『ハロウィン』でまたもやローリーとしてハドンフィールドの町に舞い戻ったりしているのだった。こうして書いてみると死んでも死んでもハドンフィールドに回帰するローリーは何度殺してもハロウィンのハドンフィールドに現れるマイケル・マイヤースの鏡像ないし影といったところで、そうした寓意性を読み解く面白さは『ハロウィン』シリーズの魅力のひとつといえる。
続くシリーズ三作目『ハロウィンⅢ』はマイケル不在の番外編。一作目の監督で今作では製作を務めているジョン・カーペンターの当初の構想では『ハロウィン』シリーズでは毎作異なるハロウィンの恐怖を描くつもりだったらしく、マイケルを続投させるつもりはなかったのだという。これはこれで面白い映画で個人的には好きだが、興行的には芳しくなかったのか次作『ハロウィン4』以降はマイケル・マイヤースを核としたスラッシャー映画のシリーズとして今日まで続くことになる。その『ハロウィン4』では前述のようにローリーが事故死したことにされたため主人公がマイケルの姪に当たる少女に変更。『ハロウィンⅡ』ではローリーがマイケルの妹だったという後付け設定が追加されたが、今作ではマイケルの姪が彼に付け狙われる主人公となったことで、マイケルのアイデンティティとシリーズの方向性が決定づけられる。マイケルは「家族の女」を殺す男となり、『ハロウィン』シリーズはマイケルとその家族、あるいはハドンフィールドに廃屋として残り続けているマイケルの「家」を巡る物語になったのだった。物語的な繋がりはないがこうした要素はロブ・ゾンビによるリメイク版『ハロウィン』二部作にもリブート版『ハロウィン』三部作にも受け継がれている。
続く『ハロウィン5』は詩的な雰囲気をまとった前作とは趣を変えたバイオレントな描写がやや多めのスラッシャー映画編、そして一作目からマイケル・ハンターとしてマイケルを追い続けてきたシリーズの中心人物のひとりルーミス医師とマイケルの直接対決が描かれた最後の作品でもある。ルーミス医師は『ハロウィン6』にも登場するが撮影後にルーミス医師を演じたドナルド・プレザンスが死亡したことで『ハロウィン6』は大幅な内容変更を余儀なくされ、結果として劇場公開版の『ハロウィン6』ではルーミス医師とマイケルの対決が中途半端なものとなってしまった。なお元々の『ハロウィン6』がどんな形の物語だったかは現在プロデューサーズ・カット版として流通しているソフトで確認できる。スラッシャー映画というよりもオカルト映画のテイストが濃厚な非常に興味深い作品となっているので、入手難度は比較的高いがシリーズのファンなら一度は見ておきたい。
ここでシリーズは再び仕切り直し。ルーミス医師不在のシリーズ七作目『ハロウィンH20』は20周年記念作ということでジェイミー・リー・カーティス演じるローリーがシリーズ復帰、『ハロウィン4』で付け加えられた事故死設定は事件を忘れるための事故死を装った身元隠しだったという無茶な設定で書き換えられる。ルーミス医師がいない分ローリーが単身マイケル相手に奮闘するが、いかんせん監督に抜擢された『13日の金曜日』シリーズのB級職人スティーブ・マイナーの演出は一般的なスラッシャー映画に寄りすぎていて、『ハロウィン』とマイケルの独特の空気はほとんど感じられない。ストーリーのやっつけ具合も相まってシリーズの中でも下から数えた方が早い残念作となったが、続編『ハロウィン レザレクション』は廃墟を探検するリアリティ番組のインターネットライブ配信という時代に即した(あるいはちょっと時代を先取りした)斬新なアイディアを投入しマイケルの生家にスポットライトを当てることで、『ハロウィン』らしさと現代性が見事に融合した思わぬ佳作となっていたのだから、『ハロウィンH20』とローリーの一時復帰も無駄ではなかったのだろう。
そしてまた仕切り直し。ロブ・ゾンビを監督に迎えたリメイク二部作はこれまで”シェイプ”の別名でも呼ばれてきた亡霊的殺人鬼マイケル・マイヤースを生身の人間として捉え直し、無貌のマスクの向こうにマイケルの怒りや悲しみといった感情が生々しく透けて見える、画期的な作品。だがシリーズの大ファンを公言するロブ・ゾンビはオリジナルな視点を取り入れつつも『ハロウィン』の核心は外さない。おそらくシリーズのどの作品よりもマイケルと家族の関係に肉薄したリメイク版一作目、そして大衆がマイケルに投影する昏い幻想とマイケルの孤独な心象風景を鋭く対立させたリメイク版二作目を通して、ロブ・ゾンビはマイケル・マイヤースが「家族の女を殺す男」であり、人々の心の暗部を映し出す存在でもあることを明確に描き出す。これまでのシリーズ作がマイケルを外から眺める作品だったとすれば、リメイク二部作はマイケルの中から同じ世界を眺め返した映画と言えるだろう。
と、紆余曲折あってようやく日本公開待機中の『ハロウィン・エンズ』を含むリブート三部作に辿り着く。「家族の女を殺す男」というマイケルのアイデンティティはMeTooムーブメントを受けてフェミニズムの視点を取り入れた作品がハリウッドで多く製作されるようになった昨今の風潮に見事合致し、リブート一作目『ハロウィン』(2018年版)は孤独に殺す男マイケルと女同士連帯してマイケルに立ち向かうローリーというこれまでのシリーズ作には見られなかった対立構図が鮮烈に描かれた。また、シリアルキラーをコンテンツとして消費しようとする人々の昏い願望がマイケルを殺人に突き動かすという図式も描かれ、シリーズのお約束を踏まえつつ現代的で批評性に富んだ作品となっている。これはリブート二作目『ハロウィン・キルズ』も基本的には変わらない。
こうして振り返ってみれば、『ハロウィン』とマイケルはその時代その時代で核心は変わらずとも時代に合わせて柔軟に姿を変えてきたことがわかる。スラッシャー殺人鬼の元祖とはいえマイケルは後に登場したスラッシャー殺人鬼スターのジェイソンやフレディに比べてインパクトが弱く、『13日の金曜日』と『エルム街の悪夢』の後塵を拝する時期も長かった『ハロウィン』が、今となれば両シリーズを凌ぐスラッシャー映画の最長寿シリーズとなったことにはそうした理由があるのではないだろうか。
『影が行く』はシリーズ一作目『ハロウィン』内で子供たちがテレビで見ている映画『遊星よりの物体X』の原作小説のタイトル。監督のジョン・カーペンターが後年より原作小説に忠実な形で映画化したのがSF映画のマスターピース『遊星からの物体X』で、そこでは誰にでも姿を変えることのできる不定形のエイリアンの恐怖が描かれた。マイケルもまた不定形のエイリアン同様に捉えどころのない存在であり、その真っ白な無貌のマスクはマイケルがいつの時代にも誰の心にも潜んでいることを示している。
『ハロウィン』シリーズは時代を映し出しマイケルは人々の心の暗部を映し出す。人々に昏い願望がある限りマイケルは死なないことを暗示してリブート三部作の二作目『ハロウィン・キルズ』は幕を閉じた。果たしてリブート三部作の終章『ハロウィン・エンズ』ではどんな風に決着を付けるのか、いつになるかわからない公開を心にマイケルを宿しつつ楽しみに待ちたい。