【コーエン添田のワンサポナタイミン・ザ・幕】第6回 TV版『サクラ大戦』という幻想と怪奇
まず「これは怖いテレビだ」と断言しておく。
TV版『サクラ大戦』のことである。
サクラ大戦はもともとビデオゲームのシリーズで、OVAや映画などの映像化も行われてきた。
各種ある映像化の中で、一見さんにお勧めしたいものとして、まず挙げたいのがTV版である。OVAはもちろんファンアイテムなのだし、映画は少し、見づらい感じがする。
とはいえ、映画版『サクラ大戦 活動写真』のオープニング、聖夜に浮足立つ帝都の夜を丁寧に描き、あの『奇跡の鐘』のパフォーマンスになだれ込み、やがてタイトルが映し出されるまで……は見事だ。何よりも『奇跡の鐘』という楽曲が素晴らしい。
しかしワン・エピソードごとの濃度や、登場人物が感情を爆発させるまでのドラマの積み上げ、シリーズ全体のクライマックスとなる、あの城……と、どこを切っても見応えにあふれているのは、やはりTV版なのだ。
そしてそのTV版を貫いている一本の芯こそが、「怖さ」だった。
サクラ大戦の舞台となっているのは、太正時代の帝都。太正は正史の大正〜昭和初期にあたり、電気ではなく蒸気文明が発達している。
大正〜昭和初期といえば怪奇と幻想であり、それはビデオゲームを始めとする『サクラ大戦』各作品の根底にあるものだ。TV版では、それらを全面展開している。
そういう目で見る場合、出色のエピソードとして、まず挙げたいのが第五話だ。
この回での帝都は雷雨が轟いていて、ただならぬ雰囲気に包まれている。その雷雨の、音と光による表現が本当に素晴らしい。ピンク・フロイドのアルバムのように、何度でも聴き、見たくなる。怖い映画ということで言えば『返校 言葉が消えた日』、デヴィッド・クローネンバーグ『危険なメソッド』、黒沢清の諸作を始めとするジャパニーズ・アンビエント・ホラー。そしてもちろん、中村隆太郎の『serial experiments lain』。
音の良さは本作の持っている大きな魅力の一つで、太正という、スチームパンク的な時代背景を表す機械音や、帝都の雑然とした、市井の環境音など、余念が無い。手掛けているのは今をときめく鶴岡陽太である。
続く第六話の後半では、ほんの一瞬、夕暮れの縁日が映し出される。ここが本当に一瞬で、舞台は一旦、帝国劇場に切り替わる。しかしこの一瞬が効いていて、太正の帝都というのが単なる書割でなく、確かに存在している世界なのだと思わせる。そして帝国劇場での一幕が終わり、夜のオバケヤシキに舞台が移る。この時間経過の表現にも、先程の縁日が一役買っている。
こうした表現の一つ一つが太正という世界観、そして大正〜昭和初期の空気を見事に表しており、魅了されずにはいられない。
私は以前に、セルジオ・レオーネが徹底的に美しく描いた昔々のアメリカについて、『帝都物語』の東京を引き合いに出して書いた。
そこでは映画版『帝都物語』における大正〜昭和初期の描写を「短い」としていたが、そのとき念頭にあったのが、このTV版『サクラ大戦』であった。
あるエピソードの冒頭では、街頭で太正帝都のヒット曲が流れ、中心街から少し外れた街並みが引きの画で映し出されている。カメラは街の喫茶店にクローズアップしていき、一体どんな店なのだろうと興味を抱かせる。その期待に応えるように、舞台は店内となり、そこでは帝都防衛についての密談が行われている。
太正桜に浪漫の嵐、とはこのことである。
2クールに渡って、下町から銀座まで、大帝国劇場に浅草花やしき、といったように、太正という架空の時代の帝都を細部まで、我々は歩くことができる。それは華やかで美しいが、夜は怖ろしく暗い。