【特集・イタリアンホラー 鮮血と腐肉の美学】わたしの偏愛するイタホラ愛の12選!
2018年、イタホラの代表作といっていいであろう『サスペリア』が『君の名前で僕を呼んで』の監督ルカ・グァダニーノによってまさかのリメイク、更に今年2023年に入ってはグァダニーノの「食人族もの」映画である『ボーンズ・アンド・オール』が公開、そしてイタホラ帝王ダリオ・アルジェントの最新ジャッロ映画『ダークグラス』の公開と『食人族』リバイバル上映・・・来ている、これはイタホラの波が来ている!!!
来ちゃった波には乗るしかないのがイタホラ精神というもの、てなわけでその精神に倣ってMOVIE TOYBOXライターの人たちにも偏愛イタホラを選んでもらった。面白けりゃなんでもアリな精神の解放区イタホラの世界に何かと気苦労の耐えない今の時代こそダイブだ!
笑む窓のある家(1976)
絵画の修復を依頼され、北イタリアの田舎町を訪れた主人公。よくある宗教画かと思いきや、修復を進めるうちに若い男を拷問する不気味な老婆二人の絵が現れるのであった・・・この老婆は誰なのか?誰が何のためにこの絵を描いたのか?
ジャッロの異色作にして傑作。ケレン味は控えめで終盤まで正統派怪奇映画っぽい雰囲気なのだが、主人公がタイトルである「笑む窓のある家」に辿り着いてからの異様な展開の数々、そして映画史上類を見ない驚愕のどんでん返しが待ち受けるラストを見た後は、とんでもないものを見てしまった・・・という感触だけが残る。このどんでん返し、あまりにも唐突すぎてツイストとして全然機能していないのだがその取って付けた感ゆえにインパクト絶大である。
監督は『ゼダー/死霊の復活祭』で知られるプピ・アヴァティ。いかにも賞受けしそうなイイ感じの風景が出てくる文芸ドラマが本領なので、一応イタリア映画界の大巨匠である。本作でものどかな漁村の風景が素晴らしく、どこかベルトルッチの『暗殺のオペラ』のような雰囲気がある。とにかく不気味な一作でジャッロ映画らしい愛嬌は一切ない。最悪を予感させる終わり方もひたすら恐ろしい。
(アタイサン)
サンゲリア(1979)
みなさんご存じロメロの『ゾンビ』を踏まえて・・・というか便乗してルチオ・フルチ監督によって製作されたのがこの『サンゲリア』である。便乗なんてそんな言い方よくないと思われるかもしれないが原題が『zombi2』なんだから仕方ないだろ!!!!
さてそんな本作だが、まず目を引かれるのが無人の船が流れ着いてくるというミステリアスな冒頭だ。これがゾンビものの導入として面白いだけでなく隠された真実に迫っていくワクワク感もあり最高なのだ。そしてサンゲリアの代名詞とも言えるのがグチャドロゾンビ。これがマジでさわりたくね〜ってなるグチャグチャさ。そう言えばゾンビってあんまさわりたくない物体だったなと思い知らされるぜ!さらには伝説のゾンビvsサメ!!!夢のバトルが既に1979年に実現していた!!!!確かに便乗映画かもしれない、でもただの便乗映画じゃないんだよ!!!!
ってな感じでエンタメとして抜群な今作だが、ストーリー面でもなかなか興味深い作品でもある。 ロメロがそれまでのブードゥー的ゾンビとは一線を画したゾンビ像を作った後の今作ではもう一回ブードゥーの文脈を入れ込んだ。今作のゾンビの起源はハイチの奇病であり、更にその舞台では西洋による支配の跡がチラホラと垣間見えている。現地人は呪いだと言うが、主人公らはそれを信じず解明しようとする。しかし謎は深まるばかり。ここには信じられないものを自分たちが(要は西洋人が)信じられる形にはめ込もうとする構造があり、前述の西洋支配の話を踏まえるとまた面白いのだ。 ラストの終末感はまさにこの監督に通底する良さだと言えるだろう。
(ハカタ)
デス・フロア(2017)
4月。平日の仕事とは別でたまに出勤しているアルバイト先で慣れないスーツを着た若者たちが続々とレジにやってきた。数本の酒と、お菓子。新社会人だろうか?疲れるよな、わかる…とすこしエールを送りながら接客をした。職場環境において大切なものは人それぞれだろう。自分はやりがいと、人。とにかく一緒に働く人が重要であるが『デス・フロア』に出て来る経営者は最高のクソ野郎である。運転手に悪態をつき、過去に関係のあった不倫相手の社員をエレベーター内で口説く。
そんな彼が開始早々エレベーター内に閉じ込められるのは少し気持ちが良い。なんとか扉をこじ開けて脱出を試みるも、約30センチほどの隙間が限界。そうこうしているうちに外の世界は猛烈な速さでパンデミックが広がり、人間が次々とゾンビ化してしまうのだった…。もちろん彼のオフィスの従業員たちもゾンビ化していき、半開きのエレベーターの扉からきっと社長としても鬱陶しいであろう男のことをブチ殺そうと襲ってくる!な~にが「俺のためにコーヒーを淹れてくれたんだね。でも俺はブラック派だから覚えておきなさい。」だ!偉そうな社長が困り果ててビビリ散らすのをニヤリと観たい人にオススメな1本。
(心理)
デアボリカ(1974)
ジュリエット・ミルズ演じる主婦が緑色のゲロを吐くシーンが笑えるパチモノ『エクソシスト』として知られている映画だがいやいやパチモノだなんてとんでもない、確かにパチモノはパチモノだがフランコ・ミカリッツィによるグルーヴィな主題歌「悪魔と取り引き」の流れるオープニングを見よ!禍々しい悪魔の儀式とそこから立ち去る一人の女、何かから逃げるように車を走らせる男、その車が崖から転落したところでストップモーションになり悪魔によるナレーションが入る。命惜しくば儀式から逃げ出した女を捕らえよ・・・そして場面が変わるとそこはレコーディング・スタジオで、ここまでほとんど無音だったのだが、プロデューサーのキューを受けてバンドが演奏を始めるとそれが主題歌『悪魔と取り引き』なのである。カッコよすぎる。こんなに洒落たカッティングと音楽演出に彩られたアヴァンタイトルのあるイタホラといったら他に『デリリウム』ぐらいしか思い浮かばない。
サントラCDの解説によるとこのカッコいいサントラは結構DJにもプレイされたりしたようで、主題歌も見事なものだが全体的に音に厚みがありつつシュラララ・・・みたいな鈴?の音色が瞑想的なムードを醸し出してなるほど確かに大いに浸れる。悪魔の子を胚胎した主婦ジュリエット・ミルズを追うのは『たたり』や『サンゲリア』でお馴染みリチャード・ジョンソン、その神経症的な渋味がまたノワール映画のようでカッコよく、『サスペリア』などとは別の意味でスタイリッシュにキマったイタホラの裏代表格と言ってしまいたい。イタホラらしい諦観に苦笑いが漏れるラストもクール!
(さわだきんた)
ゼダー/死霊の復活祭(1982)
古いタイプライターに残されていた謎の言葉<Kゾーン>。どうやら昔そこで死者を蘇らせる実験が行われていたようだ。タイプライターの元の持ち主である異端の修道士ドン・ルイジを探し、各地を訪ね歩く主人公。旅路の果てにとある廃墟に辿り着くのだが・・・。
『笑む窓』に並ぶプピ・アヴァテイの代表作。地味なオカルトミステリだが、終盤に出てくる巨大廃墟のSFチックな外観やブラウン管越しの死者復活など忘れがたい場面が多い。ちなみにあのでかい変な廃墟は1930年代に子供用の宿泊施設として建てられたものだが、未完成のまま50年代には廃墟となってしまった建物らしい。
アヴァテイはキャリア初期に『サスペリア PART2』の原案やランベルト・バーヴァの映画の脚本を手掛けたにも関わらず、その後はどうもホラー映画と意図的に距離を置いているようだ。しかしこの二作を見ると彼が独自のスタイルを持った優れたホラー作家であることがわかる。両作ともイタホラの作り物っぽいイメージを覆すような、型にはまらない不気味な雰囲気が素晴らしい。主人公は知らず知らずのうちに別の世界に引き寄せられ、すべてを失う半歩手前で映画が終わる。
その後も『オーメン 黙示録』(96)や『Il nascondiglio』(07)など長いキャリアの中でちょこちょこホラーを作っているアヴァテイ。長生き&多作ゆえフルチ以上に全貌がつかめないイタリアン・ホラーの重要人物である。
(アタイサン)
ビヨンド(1981)
イタホラビギナーとして手に取ってみたのは、ルチオ・フルチ監督の代表作『ビヨンド』(1981年公開)!どんな残虐描写が待ち受けてくるかと構えていたけど、話のテンポが絶妙に緩い!アメリカンホラーのテンポの良さに慣れてきた身にとっては、なんだか温泉のような心地よさ!ほっこりするな~。
もちろん冒頭からゴア描写はフルスロットル!いきなり男が磔にされるは、硫酸顔面にかけられてグチャグチャになるはで、畳みかけるような人体破壊描写に圧倒されてしまう。ただサービス満点が故にどこか笑っちゃうというか、所々間の抜けた描写と緩めのテンポに微笑んでしまう。アメリカンホラーだと物陰とか暗闇の怖さを演出として上手く使っていこうとするけど、『ビヨンド』は最初から最後までほぼ丸見えなので「志村、うしろ!」と声をかけたくなるようなコント感がある。硫酸が女性の顔面にかかるシーンとか男性が蜘蛛に襲われるシーンは表面的には悲惨なのだけど、物理法則を完全に無視した謎のピタゴラスイッチのような感じがして声を上げて笑ってしまった!
そんなゴア描写満載の『ビヨンド』だけど、作品の全体的な雰囲気としては短調でどこか悲しげ。地獄の門が開いてしまった世界は神話的且つ荒廃したヨーロッパ社会の極限を思わせる。ゾンビによって当時の社会状況を描き続けたロメロとは対照的で面白い。 大盛りゴア描写と静的な地獄絵図のアンバランスさが堪らない、不思議で奇妙な世界をご堪能あれ!
(ぺんじん)
オペラ座/血の喝采(1987)
4月から新生活を送ることとなった方は、ようやく一息つける最初の土日になったのではないでしょうか。新参者でありながら職場の飲み会を断ったお陰で、今!バスの中で!この原稿を打っていますわ!無理して職場の環境に合わせなくていい…無理やり付き合わされそうなら…いっそ燃やしてしまうのも手ではないかしら…。
はい!せっかくですのでアルジェントのこちら、パケ写命な『オペラ座/血の喝采』がジャッロ、イタリアンホラーとして印象に残っております。瞼を閉じたら針が刺さるお手軽拷問方法で、主人公の少女に己が手をかける殺人の様子をじ…っくり見せさせます。もちろんアップは黒の革手袋&大振りのナイフ、それこそが犯人だと言わんばかりに。犯人など誰でもよくて、被害者が悲惨に殺されるショックシーンを扇情的に切り取るのがジャッロの良さだと思っております。
この映画の見どころは視線とカラス。見られる主体である女優の少女が犯人により見せられる客体へ。演じる女優にショーを提供する犯人。反転するまなざしとオペラ座を死の舞台たらしめるカラスの飛翔が脳に残りますわ。 そして突然振り下ろされる驚愕のラスト!初見時はその舞台の影響もあって何じゃこりゃ…等とガチで引きましたわね…。Amazonでは品切れの嵐になっておりますので、ぜひレンタルしてお確かめくださいませ。
(散々院 札子)
All the Colors of the Dark(1972)
主人公ジェーンは交通事故で流産して以来、青い目をした謎の男に殺される悪夢に苦しめられていた。いつしか現実世界でもジェーンの行く先でその男が現れるようになる。不安になった彼女は夫や姉に相談するも、全く取り合ってもらえない。そんな彼女に隣人のマリーが手を差し伸べるのだが、マリーは悪魔崇拝者だったのだ・・・。
日本未公開・未ソフトながらご紹介したいジャッロの秀作。ストーリーは『ローズマリーの赤ちゃん』とヒッチコック映画の露骨なツギハギだが、冒頭のジェーンの見る悪夢の異様なイメージ(幼女の扮装をした老人・分娩台の妊婦・汚い虫歯)や、登場人物が一瞬で入れ替わり妄想と現実の境がわからなくなる展開など結構見どころが多い。一件落着と見せかけて実は・・・という謎が謎を呼ぶラストもなんだかデュ・モーリアの小説みたいで気が利いている。
監督は『陰なき淫獣』『ワード夫人の奇妙な悪徳』などジャッロを代表する傑作を連発したセルジオ・マルティーノ。主演は『ファイブ・バンボーレ』に出演し、マルティーノ作品のヒロインとして知られるエドウィジュ・フェネシュ。前述した二作に並ぶ傑作というほどではないが、出来がいいことは間違いない。
(アタイサン)
デモンズ’95(1994)
アルジェントの弟子筋にしてイタホラ業界随一の映像作家であるミケーレ・ソアヴィの一時引退作(現在は復帰してテレビドラマを中心に活躍)はイタリアの人気ホラーコミック『Dylan Dog』のスピンオフ的実写版。なぜかはわからないが埋葬された死体が蘇る墓地の管理人ルパート・エヴェレットと知的障害を持つ墓掘り相棒のゾンビ退治と暇つぶしに明け暮れる日々をオフビートに綴る。
明確なプロットはなく夢を見ているような不可思議な展開に笑うに笑えないシュールでブラックな笑いが被さる作劇は「もしもジム・ジャームッシュがゾンビ映画を撮ったら?」といった感じだが、この映画が作られたのはジャームッシュのゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』の20年以上も前である。異作奇作の宝庫イタホラの中でもこの映画が飛び抜けて変な映画であることが理解してもらえるだろうか。実際この映画にはイタホラに特徴的な残酷描写やネチっこいサスペンスなどはほとんど見られず、その映像哲学はイタホラの文脈からほとんど完全に離れている。『バロン』や『ブラザーズ・グリム』の第二班監督を務めたソアヴィが参照するのはテリー・ギリアムの映像世界であり、その影響は情報過多でフランドル絵画的な美術・映像面に留まらず風刺と皮肉に溢れペシミズムにまみれた物語にも見ることができる(ちなみに劇中に登場する死神はおそらく『バロン』で使用されたものを流用している)。
しかし、そんな能書きはどうでもいいだろう。人生の「こんなはずじゃなかった」と「こうなりたい」が寄せては返す波のように主人公を押し流し翻弄するこの映画、さまよえるティーンだった頃の俺のハートに深々と食いこんだ。ままならない人生を透徹した眼差しで、しかし共感を込めて眺めるソアヴィの優しさに泣いた。ルパート・エヴェレットの翳りを帯びた相貌も素晴らしい、人生に疲れた時に見たいイタホラである。
(さわだきんた)
サンゲリア2(1988)
今回は1だけじゃなく2も紹介するぜ!しかしまず言っておきたいのがこの映画は『エイリアン』のように1も観たなら2も観ろ!と言いたくなるような作品ではないということだ(そもそも世界観からして繋がりがない)。しかし、今作は今作で見せ場重視で中々見所のある映画だと僕は思う。
あらすじを言えばとある研究所からヤバいウイルス『デス・ワン』が奪われパンデミックになり軍は厳戒態勢を敷く。そこに呑気な若者どもが巻き込まれ・・・てな感じ。この映画、監督ルチオ・フルチとクレジットされているが実はフルチ監督は体調不良で途中降板しており別の監督が撮っているとのこと。 実際観てみるとゾンビ鳥などフルチらしい“艶”を感じる描写がある一方で、ジャンプ生首やアクションゾンビなど勢い重視というか“豪”という感じな描写も頻発する。というか今作のゾンビは攻撃性が異常に高い。待ち伏せして猛スピードでナタで襲いかかって来る奴とかオラーッて突進して窓から突き飛ばしてくる奴とか、感染させて仲間(菌保有者)を増やすためじゃなくて「お前をぶっ●す!!!!!!」って行動原理で動いてるようにしか見えない!
先程サンゲリアについてただの便乗映画じゃないと言ったがこちらはただの便乗である(ちなみに原題は『zombi3』・・・)。無菌服にガスマスクな集団、感染死体を燃やしたガスで感染が広がる展開・・・などとにかくどっかで見たような絵面や展開のパッチワークとなっているぞ。 しかし僕はどうしてもこの勢い重視な闇鍋アクションゾンビを嫌いになる事は出来ないのだ・・・ゴアも良いしね。 どこをどの監督が担当したかは分からない、しかしラストのDJによって終末が来たことを知るシーンなどはまさしくフルチ作品に通底する終末の詩情を感じるのだ。
(ハカタ)
サスペリア(1977)
イタリアン・ホラーって知ってます?ダリオ・アルジェントとかルチオ・フルチとか・・・
はい、イタリアン・ホラーは、イタリアの映画監督たちが手がけたホラー映画のジャンルで、ダリオ・アルジェントやルチオ・フルチなどが有名です。イタリアン・ホラーは、独特の映像美や音楽、グロテスクな描写、非現実的なストーリー展開などが特徴的であり、ホラー映画ファンからは独自の魅力を持つジャンルとして高く評価されています。ダリオ・アルジェントの『サスペリア』やルチオ・フルチの『ゾンビ』などが有名作品の一部です。
もし一本だけこれだけは見て欲しいというイタリアン・ホラーを挙げるとしたら!
それなら、一本だけ選ぶとしたら、私のオススメは『サスペリア』(1977)です。ダリオ・アルジェント監督の代表作であり、イタリアン・ホラーの傑作として知られています。
『サスペリア』は、ドイツの舞踊学校を舞台にした超自然的な恐怖を描いた作品で、映像美や音楽、サスペンスフルなストーリー展開が特徴的です。独特なカラフルな映像表現やグロテスクな描写、独創的な音楽が印象的で、ホラー映画としてだけでなく、芸術性の高い作品としても高い評価を受けています。
『サスペリア』は、オリジナル版に加えて、2018年にリメイク版も公開されていますが、オリジナル版は独特な魅力と雰囲気を持ち続けています。イタリアン・ホラーの魅力を存分に味わえる作品であり、イタリアン・ホラーを知る上での一本のオススメです。
(ChatGPT)
食人族(1980)
90年代のレンタルビデオ店。人間から心臓が抉り取り出されている衝撃的なビデオジャケットは、幼い私にとって本当に恐ろしいものだった。父親が意地悪にも見せつけて来て恐怖したのを覚えている。それは今思えば『食人族』ですらない更なるマガイモノだったのかもしれない。そして月日は経ち、遂にJVDのDVDを見た時、とにかく、衝撃を受けた。この衝撃は誇張でなく、本当に心底驚いた。とんでもなくセンセーショナルなものを見せられるのだと身構えていると、雄大なアマゾンの風景をバックに、スーパーみたいな曲が流れ出したのである!恐らく誰もがここに衝撃を受けるのではないか。なんという皮肉な演出。この革命的な演出に痺れまくった作家は少なくない。
恐らくルッジェロ・デオダート監督はそんな意味合いで演出はしていないと思う。雄大な風景に合う音楽をつけただけなのだろう。意図的なミスマッチの選曲という手法は、古くは黒澤明の『用心棒』などでも使われた編集技法でもある。しかし未だにこの作品を超える使い方をした作品に出会っていない。ジョーダン・ピールの『ゲット・アウト』のオープニングももしかしたらこの作品の影響下なのではないかと睨んでいる。
ここに賛同いただける同志諸君にはぜひ『ホーボー・ウィズ・ショットガン』を見て頂きたい。この作品のオープニングは『残酷!女刑罰史』に捧げられたものではあるが、この皮肉の効き方のセンスは『食人族』に通じるものがある。ちなみに同作の監督ジェイソン・アイズナー(新作超待ってます!)が撮った短編『TREEVENGE』でも食人族メインテーマが使われているので、その影響は明白であると思われる。
(二階堂 方舟)
いかがだったでしょーか。うーむそれにしても、頼んだわけでもないのに定番からカルト作まで見事にバラけましたなぁ。それだけイタホラは懐が広く人によって良さを見出すところが違うということでしょう。かくも豊かなイタホラ世界、いや~、イタホラって、本当に良いものですね~。