【あの映画のあれ】あれ3 『七人の侍』の「のぶせり」
映画がそれほど好きじゃない人でもおそらくタイトルぐらいは知っている映画史上の名作『七人の侍』。のぶせりに幾度となく村を襲撃されもはや息も絶え絶えの貧しい農民たちを助けるために七人の侍が立ち上がるというストーリーはその後さまざまな作品に大きな影響を・・・ちょっと待った、のぶせりって、なに?よく考えたら実はよくわからなかった「のぶせり」を今回はちょっとだけ調べてみましょう。
まず文字。農民たちは村を襲って収穫物を巻き上げる強盗団をこう呼ぶわけですが、なんとなくこれは野武士が田舎風になまったものかなと思ったら、そうではなくて野伏せりと書くそうです。それどころか野武士も元々の表記は野伏。今では野武士の表記の方が一般的に用いられているようですが、それはたぶん野武士と書いた方がワイルドでカッコいい感じになるからでしょう。
その野伏せり、実は複数の意味があるらしく、『七人の侍』に登場する山野に潜伏して略奪で生計を立てる山賊・盗賊を指すものがひとつ、もうひとつは単に定住地を持たず野宿を行う人、今で言うホームレスに相当するでしょうか。野武士とも表記されるのはこれらとは別で、鎌倉末期~南北朝時代の武装した独立農民集団をこう呼んだのだとか。なるほど、職業軍人ではなく在野の兵士。戦国時代に入って大名が自国領の農民を徴兵したものも野武士と呼ばれるそうで、まぁつまり野伏・野武士という言葉は特定のものを指す言葉というよりは、「領土の外にいる(危険そうな)人」というイメージを持つ、時代によって指し示すものの異なる言葉のようです。
ところで、『七人の侍』には落ち武者狩りの場面が出てきます。落ち武者は戦に敗れて行き場をなくした敗残兵、それを村人たちが襲撃・殺害し、武具を略奪したことを、村人たちを守るために立ち上がった七人の侍は激しく咎めます。しかし、実は映画の舞台となっている1586年、農民による落ち武者狩りは脱法的に認められていたことでした。帰属先を失った武士は法の適用外と見なされると同時に、この時代村落には自主防衛が求められたためにこうした慣行が許され、そのため落ち武者は逆に農民こそを恐れたのだとか。映画の中では野伏せり=山賊が農村を一方的に襲撃するわけですが、その背景には気を抜いたら農民の方が野伏せりを殺して略奪してしまう、そうした農民と野伏せりの緊張関係があるようです。
落ち武者狩りの慣行は1585年の惣無事令に始まる豊臣秀吉の制度改革によって日本が封建制(身分の固定)へと移行するにつれて姿を消していきます。武士以外の武具所有を禁ずる刀狩り令が発布され農民が武装解除されたのが1588年なので、1586年を舞台とする『七人の侍』は時代の過渡期を描いた物語と言えるかもしれません。こうした時代背景、農民と野伏せりの善悪の曖昧な緊張関係があるにも関わらず、監督の黒澤明の作家性なのか、『七人の侍』は無力な農民と邪悪な野伏せり、そして農民に助太刀する英雄的な侍が織りなす、実に胸がスカッとする勧善懲悪の痛快作となっているわけですが、脚本を執筆した戦後日本の大脚本家・橋本忍の意図はもしかするとそれとは少し異なるところにあったのかもしれません。
というのも橋本忍が脚本を手掛けた1977年の松竹版『八つ墓村』は落ち武者狩りを題材とした、まるでオカルト・ホラーのようにおどろおどろしい映画。この映画の舞台は現代(※公開当時)の岡山奥地の集落ですが、かつてこの集落の人々が殺害した落ち武者の呪いが現代に至るまで集落に取り憑き、数々の惨劇を引き起こしていた、というのが橋本忍の原作解釈で、そのため金田一耕助ものの一編であるにも関わらず、非合理的な怪談話のようになっているのです。そのラストシーンは落ち武者の亡霊(田中邦衛)が不気味な笑みを浮かべながら丘の上から集落を眺めるという、なんとも後味の悪いもの。橋本忍にとっての『八つ墓村』は、『七人の侍』を野伏せり=落ち武者の視点で捉え直した、黒澤明へのアンサーだったのかもしれません。