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底抜け映画再審理

【底抜け映画再審理】第1回 被告:『ファイナルファンタジー』(2001)

映画を観ていて、特にクソ映画と呼ばれるような駄作、愚作、失敗作と呼ばれるような作品を観ていて怒りを覚えたことはないだろうか。Twitterを始めとしたSNS上では日々「○○はクソだった」とか「△△ほどのゴミ映画は観たことがない」という怨嗟の声で溢れているばかりか、あろうことかそのような作品が個人的に嫌いだと言うだけならまだしも社会にとって害悪であるとまで言い出す者もいたりする。チケット代を払って約2時間を台無しにしただけなのによくそこまで怒ることができるな、と私のような温厚な映画ファンは日頃から不思議であったのだが、もしや大多数の人は映画を面白おかしく観るための観方というものをあまりご存知ではないのだろうか? と思い至り、それはいけないですよ映画というのは大抵は(例外は…ある)心持ち一つで楽しく観ることができるのですよということをお伝えしたくてこのような駄文を連ねることにしたのである。「底抜け映画再審理」とは変てこなタイトルだと思われるかもしれないが、まぁみんなたまにクソ映画を引いたからってぷりぷり怒らずに別の角度から映画を観てみようよ、と、その心構えのヒントのようなものを世間的にクソ映画だ駄作だと言われているタイトルを紹介しながら学んでいこうよ、ということである。

さて第1回なわけだが栄えある初回の作品は『ファイナルファンタジー』である。2001年公開で世界的に有名なテレビゲームのファイナルファンタジーシリーズの生みの親たる坂口博信が自ら監督として手掛けた当時としてはまだ割と物珍しさがあったフルCGのアニメ映画である。ちなみに制作費は約1億3700万ドルで興行収入は約8500万ドルらしいので今風に言えば大爆死である。もうズルズルに滑っている。宣伝にもかなり力を入れていたせいか、その興行的な大失敗ぶりは映画ファンとゲームファンの両方のみならず世間にも広く知れ渡るところとなり後に「スクエアとエニクスが合併したのはスクエアが映画で大コケしたせい」とかいう真偽不明な噂まで呼ぶことになった。間違いなく00年代前半を代表する駄作映画の一角ではあろう。まぁ3年後にかの『デビルマン』が爆誕するので駄作界の中でも二番手くらいの位置になってしまっているのだが…。

で、肝心の作品の方なのだが『ファイナルファンタジー』はそこまでつまらないものであろうか。それを確かめるために約20年ぶりに本作を見直したのだが、これが記憶ほどつまらない映画ではなかった。いやむしろちょっと面白いだろこれ、いやいやもっと言えば何の前情報もないままにシネマートあたりの劇場で観たら結構いいもん観たな…と思いながら家路に着けるくらいの作品であったのだ。説明過多でやや退屈な作劇が続き、それに加えもろにニューエイジ的な宗教観(本作ではガイア理論)とかが押し寄せてくるが物語の骨子はわりとよくあるSF映画でそのテーマというのもかなりゲームのFFでお馴染みなノリだと思う。ていうかこれほぼFF7だよ。やってることはFFシリーズを代表する超ヒット作であり人気作でもあるFF7と大体同じ。

20年前の映画にネタバレもクソもないということで書いてしまうが、本作で敵対的侵略者として描かれるファントムというのはテーマ的にはFF7でいうところのライフストリームと似たものであろう。ファントムの正体は死んだ異星人たちの怒りや憎しみといった負の感情であり、星を循環する記憶やエネルギーであるライフストリームと全く同じものではないが肉体としての生命が終わりを迎えたとしてもその精神が消え去るわけではなく、精神としての生命もまた個々の人間が知覚できないほど大きな惑星や宇宙規模という円環の中を巡っているのだという、そういう物語ですよ。これは。FFファンなら多くが知っている有名な逸話ではあると思うが初期FFの中心人物であり本作の監督でもある坂口博信はFF3の開発中に母親を火事で亡くしたという経緯があり、FFは3以降物語の中で登場人物の印象的な死が語られることが多い。もちろんFF2でも登場人物のドラマチックな死は描かれたがFF3以降は町が火災に見舞われるイベントなどが散見されるようになったので坂口自身の体験は作品に大きく影響を与えていると言えるだろう。人は死んでもそこで終わりではない、その意志は残滓として世界に残り続け今生きている者たちにも影響を与える、というFF7や本作でのテーマもそこから繋がっているのは明白だ。

いいじゃないですか。映画なんて、特にビッグバジェットな作品においては徹底的にマーケティングされて売れる見込みのあるものしか製作されないようになって久しいが、こんな個人的な思いをこれでもかというほどに制作費1億3700万ドルの上にぶちまけたわけですよ。なんて夢のある映画だろう。俺はこれを描きたい! というものに巨額の金をつぎ込んで興行としての成否はともかく作品はとしてはちゃんと完成させたんだよ。夢のある映画だし、映画というのはそういう夢をのっけるための器でもあるのだろうと思うよ。あとCGのクオリティは普通にいい。今見たら鼻で笑っちゃうかなと思ってたけど普通に画面に引き込まれるレベルだった。

SFな世界観でFFっぽくないからダメ? にわか野郎め! FFは1の頃から数々のSFオマージュが散りばめられてたし特にスターウォーズなんてずっとパク…影響を受け続けていたじゃないか! ついに映画化されるとなったときにガッツリとSFな世界観になることは不思議でも何でもないわ! お馴染みの魔法も出てこないし武器も銃ばっかりでFF感がない? それはまぁ…そうかもな…。その辺もっと工夫できただろうしFF15の外伝的アニメは上手くやってたので本作の欠点ではあるかもしれない…。いやでもね! こんなに監督自身の思いのたけが詰まってる作品はそうそうないよ! わざわざ主人公を女性にしてるのもちょっと分かりやすすぎて恥ずかしいなって思っちゃうくらいだよ! でもそこが良いじゃないか! アクション不足で食い足りない部分とか、せめてお馴染みのテーマ曲のアレンジとか使えよって部分とか、色々言いたいことはあるが坂口博信が満足したならまぁいいかとも思うよ。

そういうところですよ。表面的な映像の善し悪しとかだけでなくですね、監督がどんな気持ちでこれを撮ったのだろうとかそういうことにも思いを馳せればその作品がどのようなものかの解像度も深くなり、駄作と呼ばれる映画も穏やかな気持ちで観ることができるというものです。映画はスクリーンに映される映像と音響だけではない。制作者たちのリアルの人生のドラマもまたそこに込められているのです。なので坂口博信の集大成としての『ファイナルファンタジー』、超面白い映画ですよ! 再審理終わり!

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