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映画の世界の片隅で

【映画の世界の片隅で】2人目 『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』の結婚式のシーンでバルコニーから怪獣の写真を撮ってた人

事件は結婚式で起こった。ドクター・ストレンジことスティーヴン・ストレンジことベネディクト・カンバーバッチがかつての同僚にして恋人であったクリスティーン・パーマー、演じるはレイチェル・マクダムスの結婚式を友人として訪れると、建物の外から尋常ではない破壊音がとどろき渡る。こんな時にストレンジが黙っていられるはずがない。いったい外では何が起こっているのか。次なる敵は誰なのか。ひとまず状況を把握するためにストレンジが他の参席者たちと共にバルコニーに出ると、そこに奴はいた。

誰よりも早くダッシュでバルコニーに突入し後ろにいるドクター・ストレンジことスティーヴン・ストレンジことベネディクト・カンバーバッチなどまるで気にすることなくカメラに映る最前列を堂々確保すると、目の前の信じられない光景に口をあんぐり開けながら「おいおいおいやばいよこれ!やばいやばいこれやばい!」みたいな声の聞こえてきそうな慌て仕草で、しかし確実に目の前で起こっている怪奇現象を、正確には目の前で起こっていると脚本に書いてある怪奇現象をスマホカメラに捉え、世にも怪奇な異常事態をこの目で見たいという野次馬心とそれを世界に伝えたいという義務感と、それによって自己顕示欲を見たそうとする卑俗さの入り交じったなんとも絶妙な表情で、まるでその瞬間、自分こそがこの映画『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』の主人公ででもあるかのように脚本に書いてあるだけで目の前で実際に起こっているわけではない怪奇現象を激写しまくるアジア系の男性エキストラが、ベネディクト・カンバーバッチを食う勢いでその場に居たのである。

確かにマーベル映画の出演は無名のエキストラには一世一代の晴れ舞台だろう。だがそこまでするか? 役を作るのは良いことだが普通はそこまで気合い入らなくないか? 台詞がないどころかスタッフロールにだって載らない役で? それも派手なやられ役とかじゃなくて透明怪獣をスマホカメラで撮る役で? もし俺に『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』の関係者に一人だけインタビューする権利を与えられたとしたら、監督サム・ライミでも主演ベネディクト・カンバーバッチでもなくこの男にインタビューをしてみたい。だがそんな権利は与えられないし仮に与えられたところでインタビューはできないだろう。たぶん現場の誰もこの男の名前を知らないだろうから。ストレンジ以上にミステリアスな男である。

もしかすると彼の熱演の背景にはシム・リウの存在があったのかもしれない。マーベル映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』でタイトルロールに抜擢されたシム・リウは中国系カナダ人。2012年にハリウッドに渡ってからは鍛え上げられた肉体と知性を武器に連続ドラマの出演を初めとしてスタント、脚本執筆、プロデュースに監督と八面六臂の活躍を見せていたが、ドラマは端役の域を出ず、それ以外の仕事も大役と呼べるものはなかった。石の上にも三年、ハリウッドの片隅にも十年。地味な仕事の積み重ねで勝ち得た信頼はやがて『シャン・チー』突然の主役抜擢に結実する。それは主要スタッフ・キャストをアジア系俳優で固めたハリウッド映画『クレイジー・リッチ!』の成功を受けてハリウッドに到来したアジア系俳優地位向上の機運も影響しているだろうとしても、シム・リウ自身が掴んだアメリカン・ドリームである。

たとえ台詞がなくスタッフロールにも載らないようなエキストラ起用でも、ハリウッドのカメラとスタッフとキャストの前で最高の演技を披露すれば、いつか自分も『シャン・チー』のシム・リウのようにスターの座を勝ち取ることができるかもしれない。あのバルコニーの男はそんな風に考えたのではないだろうか。経済格差や政治分断ですっかり潰えたかに見えるアメリカン・ドリームはハリウッド映画の片隅でまだ生きている。出演時間わずか数秒でそうまで思わせるバルコニーの男なのであった。

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ゆるふわ映画感想ブログ映画にわか管理人。好きな恐竜はジュラシックパークでデブを殺した毒のやつ。Twitter→@eiganiwaka