【追悼・石井隆】痛みを超越した先にあるもの。映画『甘い鞭』
私が鑑賞したことのある石井隆の作品は『フィギュアなあなた』でも、『GONIN』でもなく、唯一『甘い鞭』だった。鑑賞したきっかけは、2012年に公開された同じく壇蜜が主演の『私の奴隷になりなさい』(亀井亨監督)が傑作だったからだと思う。『甘い鞭』は劇場ではなくレンタルになってから鑑賞したが、そのときはちょうど18歳になったばかりの学生だったので“何か大変なものを見てしまった”と記憶からはほとんど消していた。9年経った今、再見しても映像から突き付けられる“痛み”に顔をしかめたのだった。
SM作家の巨匠・団鬼六とタッグを組み『花と蛇』を映画化した石井隆がさらなるSM作品を生み出すため選んだのは大石圭のショッキングな小説『甘い鞭』だった。
暑い夏の日、17歳の岬奈緒子(間宮夕貴)は裏に住む男に拉致・監禁されてしまう。
急な夕立で雨宿りをする奈緒子を男は後ろから羽交い絞めにし、防音設備の施された地下に1か月もの間監禁して、殴り、鞭を打ち、縛り付け、吊るすー。
男はひたすらに少女を嬲り続けた。
警察は事件性がないという理由で形だけの聞き込み調査を行い、家族も諦め始めていたところ、血まみれで手錠をされた全裸の奈緒子が帰宅する。
「お母さん、助けて」。
死に物狂いで逃げてきた奈緒子に対し、母は怯え、娘を見て何があったのかを瞬時に察知し、化け物を見るかのように拒絶した。
男は”裏の家の少女を拉致監禁したい”という歪んだ欲望を長年計画していたのだという。
両親は医者で、自らは2回医大を落第した。両親からの期待、世間からの疎外感、そして強烈な孤独が歪んだ欲望を抱かせたのだろうか。
事件後の警察署での事情聴取は観ていて精神的につらい。
証拠を残すため、血塗れのまま淡々と婦人警官が写真を撮る。全裸の写真も、開脚した陰部の写真も。
対応する女性医師がまるで母親のように「ごめんなさいね、つらかったでしょう」、「頑張ったわね」と優しく声をかけ抱きしめる。
そして「私がちゃんと元の体に戻してあげるからね」と、度重なる暴行によって妊娠していた奈緒子の堕胎手術を行なった。
32歳になった奈緒子(壇蜜)は当時の女性医師への憧れもあってか、不妊治療専門のレディースクリニックで働いている。
美しく、優しく、聖母のように患者に接する奈緒子にはもう一つの顔があった。
SM嬢。
奈緒子は”生粋のM嬢・セリカ”としてサディストの女王様であるオーナーや上客たちからSMプレイを受けるパフォーマンスをしている。
セリカは蝋燭、鞭、緊縛…あらゆるハードなプレイを受け入れる。
奈緒子がこの二重生活を選んだのはストックホルム症候群でも、生半可な理由でもない。
”あの時”味わった、奇妙な味を求めて耽美な快楽に溺れるのだった—。
本作はセンセーショナルなエロティック・ホラーである以前に、1人の女性が壮絶なトラウマを自ら癒すために奔走するセラピー映画と言えるかもしれない。
幸せな日常が一瞬にして奪い去られ、ズタズタにされ、親に見放され、失望された過去の自分を受け入れて、許すために—。
たとえそれが正しい方法でなかったとしても…。
壇蜜と間宮夕貴が文字通り体を張って挑んだ問題作。撮影では実際に鞭で打たれ、専門家からの指導の元、監督自ら奈緒子を縛り上げたこともあったという。二人の女優の本能を剥き出しにさせ、究極の生と性を描いた石井監督に世界は今後も恐れ慄くことだろう。