MOVIE TOYBOX

映画で遊ぶ人のためのウェブZINE

推薦ポエム品評会

【推薦ポエム品評会】第2回 『aftersun/アフターサン』品評会

著名人による新作映画の推薦コメント。それは今や洋画宣伝に欠かせない要素であり、ときにビジュアルやあらすじよりも強力に見る者の鑑賞意欲を喚起する。こうしたコメントは宣伝であるからして、それがどんなにつまらない映画でもあからさまに貶すようなものはない。しかし、とはいっても書くのは人間。コメントを頼まれたはいいが褒めるに褒められない、しかし頼まれた仕事は断れない。そんなこともあるだろう。また逆に、あまりにも映画が面白すぎて冷静にはコメントすることができない。そんなこともあるだろう。

そこに、ポエムが生まれる。商業と芸術、仕事と趣味、理性と感情のせめぎ合いの末に生み出される映画宣伝の推薦ポエム。宣伝の役目を終えれば誰に顧みられることもなく忘れられていく推薦ポエムを、確かに存在したものとして記録に、そして記憶に残す。そのために品評を行うのが本コーナーである。



46。これ、何の数字だがおわかりだろうか。まぁ推薦コメントをネタにする記事だから大抵の人は今回取り上げる映画『アフターサン』にコメントを寄せた人の数でしょとわかってしまうと思うのですが、いや46人て。普通多くて10人ぐらいなのにこれは46人。コメント一覧を見ていると途中から劇場スタッフの推薦ポエムまで載せ始めてなりふり構わぬといった感じである。

なるほど確かに強いストーリーがあるわけでもなく、スターの出演があるわけでもなし、監督の美意識が隅々にまで行き渡った叙情的なビジュアルは鮮烈だが、たとえば本年度アカデミー作品賞受賞作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のように観客を強引に画面に引き込む主張の強いビジュアルがあるわけでもない。ならば推薦コメントをとにかく数集めて言い方は悪いが数打ちゃ当たる式の宣伝にした方がキービジュアルや宣伝文句をバシッと決めて売り込むよりも動員効果があるかもしれない。

面白くなってきた。これでこそ品評会というもの。ということで今回は46人ものポエムの中から厳選した9つのポエムを品評したいと思います。まずは3人のポエムをまとめてどうぞ(引用はすべて『aftersun/アフターサン』公式サイトから)

何気ない親子のやりとりに愛を感じて頬を緩めるたび、
どこかで「この幸福に終わりが来る」ことを考えてしまう。
その不穏な緊張を最小限の情報で描ききる勇気に、感服していました。

カツセマサヒコ(小説家)

幼い頃に父と過ごしたほんの少し日常とはちがう特別な時間。
でもなんてことのない些細な時間。
大人になってもあの瞬間にふと救われることがあって
そんなかけがえのない煌めきが詰まっている映画。
何度も思い返したくなる愛しい記憶たち。

枝 優花(映画監督・写真家)

父と娘で過ごした遠き日の休日は、ありふれて他愛もない。
だからこそ、その親密で柔らかな温もりと、静かに抱える悲しみは、
時が流れても心に保存され続ける。
物語らぬことで多くを語る、本作の繊細な叙情性は、時間が経つほどに染みついて離れない。

中井 圭(映画解説者)

「ありふれた」「些細な」といった言葉でこの映画で描かれる父娘の時間を表現したポエムは上の3人以外にも何人もいた。自身の経験を引き合いに出してそう語るコメンターもいれば中井圭のように一般論的に語るコメンターもいるが、その含意は「誰もが経験する」ということだろう。共感や感情移入ができる映画は一般的に観客満足度が高く、共感や感情移入ができることが映画体験だとさえ考えられているかに見える昨今、こうした言葉は何気ないようでいて、しかし確実に共感や感情移入を求める人に対する集客効果を持つ。

あの音、あの光、あの匂い、あの声、あの顔、あの夏の日。
誰もが自分の記憶を呼び起こされるに違いない。
一度観たら、ふとした瞬間にこの映画の事を懐かしく思い出してしまう。
そんな宝物のような映画です。

シネ・リーブル神戸 支配人 多田祥太郎

劇場支配人ともなれば共感や感情移入の集客効果は痛いほどに理解しているだろう。「あの」の連発、そして「誰もが自分の記憶を」の直接的な主語の挿入により、一読すれば「誰もに」共感できる、感情移入できる映画であることが半ば暴力的に伝わるこのポエムは、共感・感情移入促進系のポエムの中でも頭一つ抜けていると感じた。さすが興行のプロ、といったところか。

淡々としていますが、見た後余韻がずっと残るちょっと不思議な映画です。
親の記憶というものは誰でも年と共に微妙に変わるものなので、深いところに響きます。
娘役のフランキー・コリオの演技は演技と思えないほどリアルです。

ピーター・バラカン(ブロードキャスター)

そんな中でピーター・バラカンは他とは一線を画す冷静な推薦ポエム。おそらく他の多くのポエムとの違いはその視点が映画の主人公である娘ではなく娘に見つめられる父親の側にあるところで、これは言うならば非-共感の眼差しだろう。バラカンはこの映画に感情移入せず主人公に共感しない。だからこそ彼の目には「ちょっと不思議な映画」と映る。その視点の独自性を高く買いたい。

観終わった後に襲われる凄まじい余韻と考察。
今も心はビデオカメラに取り残されています。

松竹マルチプレックスシアターズ 番組編成部

独自性でいえばこちらも挙げておきたいところ。「襲われる」と「取り残される」の語感によりまるでホラー映画の推薦コメントのようになってしまった。これデヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』の推薦ポエムにも使えるな。

瞬きする間、世界はどんな姿をしているのだろう。
体温に触れたポラロイドがじとりと顔を出すように
まばゆいかけらを集めて、私も記憶の海を泳ぎたい。

杉咲 花(俳優)

そしてこちらもやはり挙げたい。杉咲花によるこのポエムは揶揄とかではなく本当にポエムである。本当にポエムなので直接的には映画の宣伝に全然なっていないが、宣伝の殻を突き破るほどの叙情を生じせしめる映画と感じさせることで逆説的に宣伝になっているという難技。しかしここには多田祥太郎の作のような老練と技巧は感じられない。ここに感じられるのは自身の内に湧き出す言葉で世界を捉えようとする若い意志と情熱である。それが半ば偶然宣伝として機能する面白さを高く評価したい。

娘らしく父らしく、ましてや女らしく男らしくするなんて耐え難い。
そんなかつての親子の時間をわかりやすい思い出話に整理してしまうなんてあり得ない。
そのかわりこの映画は、眩しすぎる空や暗すぎる海を忘れない。
水中のように不安定なこの世界の明滅から目を逸らさない。
そして、驚くほど繊細で多様な色で編まれている世界を見逃さない。
まるで鮮烈な短編小説のよう。

三宅 唱(映画監督)

ポエムはいつでも言葉に溺れる危険性を帯びている。言葉に溺れたポエムは対象から切り離され、理性が行使する合理的な言葉として、自らの存在を誇示することで、皮肉にもポエムであることをやめるだろう。三宅唱の推薦ポエムはそんなポエムの紙一重を渡りきれず、自らの言葉、そしてそれが暗に指し示す自らの理性に溺れてしまっているように見える。「わかりやすい思い出話に整理してしまうなんてあり得ない」映画を、その魅力を事細かに説明しようと試みることで、「わかりやすいポエム」に整理してしまう推薦矛盾。「まるで鮮烈な短編小説のよう」に至っては何が言いたいのかわからない。鮮烈な短編小説のようだからなんなのか。これは映画なのだからむしろそれは映画を否定する反推薦文句ではないのか。ただ「鮮烈な映画だ」と言えばいいのに、変にカッコつけようとして自分でもわけがわからなくなっているのではあるまいか。

それを踏まえ、今回はこちらの推薦ポエムを特賞とした。

何も考えず、ただ目の前のことを楽しんでいた子ども時代に戻りたくなる作品。

muu(イラストレーター)

あまりにも素っ気ない推薦ポエムだが、この素っ気なさが作品内容を体現している。誰もとは言わないが多くの観客にとって『アフターサン』を観てまず頭に浮かぶのはこんな一文じゃないだろうか。大人の知恵はそこに様々な美辞麗句を付け加え自分の印象や感情に理性的な筋道を事後的に与えてしまう。しかし、そのことで消えてしまうものもある。その消えてしまうものを消える前に掬い取ったのが、この推薦ポエムであるように思う。

返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ゆるふわ映画感想ブログ映画にわか管理人。好きな恐竜はジュラシックパークでデブを殺した毒のやつ。Blueskyアカウント:@niwaka-movie.com