【映画観客鑑賞録】第17回 『パーフェクト・ケア』の客と10年ぐらい前のシネマヴェーラ渋谷の客
映画館での観客喧嘩をなんどもここで書いてきたが、あまりそんなことばかり書いていてもタメにならないので、俺が目撃した中でそれぞれ違う方向でもっとも酸鼻をきわめた2ケースを最後に紹介してこの話題はとりあえず一旦閉じてしまおうと思う。
ケースその1は『パーフェクト・ケア』というロザムンド・パイク主演のブラックコメディを角川シネマ有楽町に見に行った時に起こった。主人公を含め悪人ばかりが出てきて高齢者がひたすら食い物にされる底意地の悪い展開に客席も殺伐、もちろんそれは社会風刺なのだが、日本の観客にとって社会風刺はもっとも理解がむずかしいものであろう、ストレートに「こんなの許せるか!」と憤った人がネット感想などを見ると少なくなかったようだ。詳細は知らないが俺の席の後ろでおっさん客が誰かと揉め、エンドロールに入るやいかにも腹立たしげな足取りで帰って行く。だがそれだけではない。場内の別の場所でも別の喧嘩が持ち上がっており、どうやらこちらは後ろの席のおっさんが前の席を蹴ったとかそんなことで、その席に座っていた中高年カップルの妻と思しき女性がドキレ散らかしていたのだ。
この女性は国籍不祥だが見た目と喋り方からすれば中国系ではないかと思われ、そのことが喧嘩に一層油を注ぐ。すいませんでしたと謝ればいいものをおっさんなかなか謝らないらしく、こちらもあまり近くで観察できていなかったため詳細は不明ながら、ドキレ散らかす女性に対してあんた言葉通じないんだよ的なことをふて腐れながら言ったようである。差別的な日本人おっさんに舐められたと感じたらしい女性はもう一向に引く気配がなく「じゃあ警察呼ぶよ!」声を張り上げる女性に対しておっさん芝居がかった仕草で大袈裟に余裕をアピールしながら「どうぞ、呼んでください」。しばらくして警官がやってきたが残念ながら次の映画に間に合わなくなってしまうためその後の展開は見ることができなかった。
ケース2はついに観客同士の物理的な衝突に発展した事件である。場所は名画座シネマヴェーラ渋谷、時はもう覚えていないが10年以上は前だろう。ファイトしたのは映画学校に通ってそうな若い男と歩行さえままならない人生の終わりかけた老人男性。この老人男性が人生の終わりかけている映画鑑賞者によくあるように場内にコンビニで買った煎餅だの酒だのを持ち込んでレジ袋がガサガサやり煎餅をバリバリやりながらその頃まだ2本立てだったシネマヴェーラで映画を見ていたのだが、そんな昭和的鑑賞慣習を若造は知らない。「うるさいですよ」。若造が発したのはこれだけだし、若造にしたら丁寧に注意してあげたぐらいの認識かもしれないが、自分たちの時代には当たり前だったやりかたを若造に注意されたことがよほど気に食わなかったのか、上映後にジジィは若造に食らいつく。「なんだてめぇ!」だが若造は「うるさかったですから」とあくまでも自分は冷静かつ正しいですよの立場を降りず、それがますますジジィの癪に障る。
そして、ジジィの罵声を平静を装ってスルーしながら若造がロビーへと出てきた時、ジジィは若造と向き合ったまま立ち止まり、突然無言になって腰を低く落としたのである。えっ、と固まる若造。何か『ドラゴンボール』とかで気を溜めている時のようなポーズに見えるが一体何が・・・ジジィが跳んだ!ジジィの跳び蹴り!若造、あっさり一歩退いてかわす!着地したジジィ、息切らして死にそう!騒然となるロビー。若造はジジィに声をかける。「わ、わかったわかった。俺も悪かった」。あきらかに声が動揺している。まさか映画を見ながらお菓子を食べる食べないの話で跳び蹴りが出てくるとは思ってもみなかったのだろう。いやそれ以上に、これ以上興奮させたらジジィが死んでしまう。その場合殺人犯とはならなくても若造の「うるさいですよ」がジジィの死の引き金となったことは間違いない。映画を見ながらお菓子を食べたかったがために死ぬ方も死ぬ方だが、死なせる方も死なせる方だ。
喧嘩はそこで突然終わる。イイ話だったなと思う。人生の終わりかけたジジィが命がけで放った射程距離30センチの跳び蹴りが、本気で戦えば勝利は間違いなしの若造の心を激しく揺さぶり、「わ、わかったわかった。俺も悪かった」を引き出したのである。けが人は誰も出ていない。ジジィも次の上映ではあんまりガサガサやらず静かに見てた。これは俺が見てきた映画館喧嘩の中でもっとも激しい展開を見せたケースだが、同時に喧嘩当事者がほとんど唯一の暗黙の和解に達したケースでもある。SNSが社会に根付き、ネットトラブルが一般化している昨今。被害者側も加害者側も振り上げた拳をいつまでも下ろせず、和解に至らないまま双方不満ばかりが溜まっていくというネットトラブルも少なからず見受けられるが、このジジィのケースはそんな被害者・加害者にひとつの和解策を提示しているとは言えないだろうか?
・・・言えるわけないだろ!