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博多ゾンビ紀行

【博多ゾンビ紀行】第17回 史上最弱ゾンビ!?『Garden of the dead』

今回紹介するのは1972年に公開されたゾンビ映画『Garden of the dead』
実は日本ではリリースされていない今作、そんな今作に出てくるゾンビがある意味衝撃的だったので紹介したい。

舞台は刑務所、作業場にあったホルムアルデヒドを乱用している受刑者たちが刑務所からの脱走を決意するが、あっけなく殺される。しかし生前吸ってたホルムアルデヒドのおかげで復活し、生きている人間どもを殺そうとする。あとついでにまたホルムアルデヒドでハイになろうとする・・・というこの時点でかなり脱力ものなあらすじである。

ちなみにホルムアルデヒドがなぜ死者を蘇らせるのか?という議論は作中で特に為されない。そんなことはどうでも良いのだ。少なくとも今作の作り手の中では。
あと今作ゾンビが出てくるまで27分かかる。この映画は60分も無いのでこの時点で半分終わっている。

さて、今作のゾンビの話をする前に、そもそもゾンビの恐ろしさとは何か・・・という話をしたい。第一に一体一体は弱いが、大量な数の暴力により人間たちがマイノリティと化しジリジリと追い詰められていく辛さが挙げられるだろう。

だが今作、ゾンビが8体ほどしか出てこない!その代わり人間はいっぱいいる。それも刑務所なんでガチ武装をしたムキムキの人間がいっぱいいる!なのでどう考えても制圧が簡単そうすぎて全然怖くない。なぜこんなに少ないのか?それは低予算だから・・・というだけではない。

ここでまたゾンビの恐ろしさについて考えたい。ゾンビの持つ怖さ、それは噛まれたら一発でアウトという緊張感ではないだろうか?要は感染という概念があることである。前述した数の多さもここに起因する。
では今作のゾンビはどうか?なんと感染の概念が無いのである!じゃあ何ができるんだってんだ!それゆえに初期メンの8体という少ない個体数から一切増えないのである。

一応、知能や瞬発力は生前並みにある設定であり、その分一般ゾンビよりも強い部分はある。とは言え、そもそも序盤に瞬殺された奴らである。そんな奴らが強くてニューゲームするならまだしも。そのままニューゲームじゃまた瞬殺されて終わりだろ・・・としかならないのである。

なぜこういった設定になったのだろうか。理由は製作年代を確認すれば推測できる。この映画が作られたのは1972年。1972年とは一体どういう時代か?あの革命的作品、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が出てからまだ4年しか経っていない時期なのだ。あの傑作は確かにゾンビの設定に革命を起こした。それまでゾンビといえば誰かに支配され、特に人を感染させるような存在ではなかった、それを今知られるような人を感染させるゾンビに変えたのだ。

しかし一方でこの時代ではその設定が完全に定着しているわけではなかった・・・という事が、今作のゾンビから推測できるのではないだろうか。例えば同時期の『死体で遊ぶな子供たち』でも墓場から蘇るゾンビ・・・という特徴的なアイコンが使われているが今作と同様に感染の概念が見えない。

そんな設定の変遷が垣間見えて興味深いという面白さはある、がしかし肝心の映画としての面白さはだいぶキツいものがある。何もハラハラしないから!

そんな風に思いながら観ていると、こんなシーンが出てくる。ゾンビにライトが当たる!そうするとゾンビがいきなり強い光に対して苦しみだし溶けてしまう!
衝撃!!!ここに来て新弱点!!!!!

そう今作のゾンビは上述の武器のなさに加えて独自の弱点があるのだ。なぜそんなことに・・・これもまたゾンビ映画史を踏まえればある程度推測できる。

この設定を見て何か連想するものは無いだろうか?強い光といえば・・・太陽。そう、日に弱いドラキュラである。ゾンビとドラキュラ、現在の視点では一見あまり関係なさそうな両者だが実は深い関係がある。

1932年に製作された映画史上初のゾンビ映画『恐怖城』、ここで描かれたゾンビの設定は「人を襲わない」「感染しない」というものだった。それに68年の『ナイト〜』で加えられた設定が、人食・・・要は「人に噛み付く」こと、そして感染・・・要は「人間を仲間にすることができる」である。ここだけ抽出すれば現代ゾンビがドラキュラから影響を受けているのがよくわかるはずだ。さらに言えば『恐怖城』はベラ・ルゴシ『ドラキュラ』のセットやプロットやベラ・ルゴシを流用した便乗映画なのだ。これらから両者には深い関係性があることが推測できる。

さて『Garden of the dead』の話に戻るが、これを踏まえれば今作でやろうとしたことが少し分かるのでは無いだろうか。ゾンビの設定がまだ固まってなかった時代、そんな時代にロメロとはまた違う形でドラキュラのエッセンスを加えてみたのが今作のゾンビなのだ。

まあ、その試みは結論から言って失敗である。ドラキュラの人間離れした強さを弱点が中和させ、人間が立ち向かえるギミックとして面白さを引き立てる。強いが打破できるポイントはある・・・という絶妙なパワーバランスが面白さを生むのだ。一方今作のゾンビはそんな強くない奴が更に弱点を加えられたという形なので全然面白くならない。

しかしまあ悪いとこばかりでも無い。チープだが雰囲気はある。奥からゾンビが走ってくるシーンなど良い。ホルムアルデヒドでハイになるゾンビはあまり見ない光景だし、ライトの光線に向かって手を伸ばすゾンビの画などは(何の意味もないサスペンスであることを除けば)面白い。

あくまでメタ的な見方だが、ゾンビの歴史が垣間見える面白さもある。それに、こういうものがあるからこそジャンルが発展するのだ。そういう意味では単に嘲笑することは出来ない映画であると言えよう。

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