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特集

【ミニミニ特集】お返し男子必見!ホワイトデーに見たい映画10選!

映画好きのみなさん!何かを忘れてはいませんか!何か大事なことをアカデミー賞に気を取られて忘れてはいませんか・・・!あれを・・・例のあれを・・・3月14日のホワイトデーを!

でもホワイトデー、世間的に話題にならなすぎますよね。そりゃあ忘れちゃうよそんなもの。地味だし。とはいえバレンタインでチョコなどの贈り物をもらった人が贈り物をくれた人にお返しをするのがホワイトデー。もらうだけもらってお返しをしないという無礼を働いておりますとそのうち手ひどいしっぺ返しを食らうに違いありません。人生そういうもんですからね。

ってなわけでみなさんがホワイトデーの存在を忘れないように今回はホワイトデーにぜひとも見たい映画を10本集めました!ホワイトデーといえばあの映画だよね~という形で記憶しておけばきっとホワイトデーにちゃんとお返しのできる真人間になれると思います!それではどうぞ!

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア(2017)

ホワイトデーで気持ちがウキウキしているあなたにオススメする映画はコレ!すっかりオスカー常連になったヨルゴス・ランティモス監督作『聖なる鹿殺し』だ!

いきなり手術中の臓器のアップで始める本作。外科医スティーブン(コリン・ファレル)の勤める病院に怪しげな少年マーティン(バリー・コーガン)が訪れる。いきなりスティーブンがマーティンに高級時計を贈るのだけれども、どこか距離感のある怪しい関係。その後スティーブンの誘いもあり家族ぐるみの付き合いを進めてゆくのだが、スティーブンの家族には徐々に悲劇の影が迫ってくる。実はマーティンの父親はスティーブンが執刀した後に亡くなっており、その「お返し」がスティーブンの家族に及んでいるのだった。

スタンリー・キューブリックを思わせる一点透視図法的なカットに、時々挟み込まれる不穏な音楽。ギリシャ悲劇の「イーピゲネイアの悲劇」をベースにした本作は、運命づけられた犠牲をなんとか避けようとする家族の様子をシニカルに描いていて、映画を見終わった後もなんともスッキリとしない気持ちにさせられる。 …えっ?なんでこんな映画をホワイトデーにオススメするのか?って…それはこの映画が僕からあなたたちへの「お返し」だからなんですよね…今真っ白なTシャツを着てミートソーススパゲティを汚らしく食べながら、あなたの事をじっと見ています。次はあなたの番ですね。

ぺんじん

3-4X10月(1990)

 ホワイトデーに見たい映画とは? と考えて男が花束を持っている画が浮かんだ。そこに銃器が隠れていると尚いい。しかも今作以降の北野映画は、なんとなく色味が白いものが続く気がする。この映ってやはり夢オチなのだろうか。確かに主人公に降りかかる出来事の、理不尽さというか身の丈?に合ってなさは悪夢っぽい。それでいてナンパにあっさりと成功してしまうところもある。ここ以降、夢は夢でも明晰夢なのかもしれない。

 北野武の映画といえば久石譲が流れるものだと思っていたので、この映画を見終わったときはひっくり返った。まさか音楽面のハイライトとしてダンカンのカラオケが設定されているとは。しかし、ああやって誰かにラヴソングを歌ってもらいながら適宜ビール瓶でその辺の人を殴るというのは憧れる。ちゃんと印象に残るシーンとなっている。

 ところで『あの夏、いちばん静かな海。』の曲を思い出そうとするとジョン・レノンが「I know it’s true〜」と歌いだしてしまう。これはビートルズの最後の曲と言われる『Now and Then』のことだが、この曲はあまり人口に膾炙しているという気がしない。一部の音楽好きだけが聴いていると思う。『Free as a Bird』と『Now and Then』ではライヴ・エイドとライヴ8くらいの開きがある。ような気がしてならない。

コーエン添田

プロミシング・ヤング・ウーマン(2020)

女性から男性へありったけの思いを伝えるという点でバレンタイン映画でもあり、お返ししてやるという点でホワイトデー映画でもある、男女間の決定的な意識の違い(あまねく男性上位社会に迎合する女性も含めて)をこれでもかと描いた、テキーラみたいな強烈な映画です。

ひとりで来た酒場で、スカートの間から下着を覗かせるまでベロベロに飲むような女は、お持ち帰りされて強姦されても仕方がない。朝帰りのような格好で柄の悪い通りを歩いている女は、暴言を吐かれても仕方がない。医師を目指す将来有望な女が輪姦されて撮影されても、同じく将来有望な男性の若気の至りなのだから黙殺されても仕方ない。男性上位社会において空気のように蔓延する「仕方ないよね」を刃のように研ぎ澄ませて喉元に突きつけてきます。若く有望な女性に対する風当たりの強さは同じ男性のそれ以上であり、結局のところ「黙って子供産んでろ」が本音でしょと、男性に対する諦めすら感じ取れる。

ラスト、報われない結末によって溜飲の下がる展開を予想させるものの、これで気持ちよくなってはいけない気がしておりましてまして。 主人公の選択が非常にハードボイルドですので、ホワイトデーの夜にテキーラとチョコレートをつまみながらご覧下さい!

散々院 札子

ジンジャーデッドマン(2005)

通説によればホワイトデーは男の人が女の人にクッキーを渡すのが良いらしい。チョコをもらったお返しにクッキー。甘味モンスターとしてはなんだかお菓子レベルの釣り合いが取れていないような気もしてしまうが、ちゃんと仕込んだバタークッキーはそこいらのチョコではチョッコじゃなかったチョット及ばぬ美味しさに化けるので、手間暇をかけて作ればチョコのお返しがクッキーでも失礼には当たらないだろう。

ところでクッキーが化けるといえば『ジンジャーデッドマン』である。このタイトルはジンジャーブレッドマンのもじりで、ジンジャーブレッドマンとは主に英語圏でクリスマスに作られるショウガ入りの人型クッキー。クリスマスツリーのオーナメントとして飾られているのを見たことのある人もいるだろう。そのジンジャーブレッドマンが細かい理屈はまぁともかく殺人クッキーと化して人々を襲い始め、死体をケーキのように生クリームとかイチゴとかで飾りつける!もちろんまったく怖い映画ではなく、どちらかと言えば最低予算を逆手に取ったZ級ブラックコメディの味わいが強いが、クッキーだけにサクサクと人を殺して最後はクッキーらしく食われて死んでだいたい75分くらいというのは最低予算スラッシャー映画の真似してはならない模範解答のようだ。

ホワイトデーにクッキーをもらったあなた!注意してください、そのクッキーもしかすると・・・ジンジャーデッドマンかもしれません!

さわだ

BECKY ベッキー(2020)

ホワイトデーといえば何故そうなったのかは知らないが、チョコレートなどのお返しの他にもマシュマロなども一般的らしい、おそらく「白い」お菓子という事でそうなっているのだろう。そしてマシュマロからの連想で、アメリカのスモアという食べ物を思い出す。スモアはキャンプの際などにマシュマロを焚き火で焼き、それをクラッカーやビスケットで挟んだ食べ物の事だ。想像するに甘くて胸焼けがする。「美味いスモアを作ろう」というセリフを、最近見た映画『ベッキー』で耳にした。

この映画は、母を亡くした悲しみに暮れ、再婚する父親にイライラを募らせる少女ベッキーの元に脱獄したネオナチ集団が現れ、とある目的でベッキーを襲撃。ベッキーの怒りが爆発し、ネオナチを次々と殺していくというスリラー映画だ。父親が不貞腐れるベッキーにスモアを作ろうと誘うのである。終盤、焚き火を使ってベッキーが焼きマシュマロのようにネオナチを炙るシーンが有るが、父親とベッキーはもう美味いスモアを作る事が叶わないというのが切ない映画だった。この映画、冒頭に少女ベッキーの姿とネオナチの姿を交互に見せるトリック的なカットから始まり、終始「これは本当に起きている事なのか?」「少女の妄想か虚偽ではないか?」という座りの悪さを感じさせる一本になっており、少女のポップな見た目に反して何も甘くなヴァイオレンスが満載なのが良い。甘い雰囲気のこの時期にピッタリのビターな映画である。続編も配信されているので合わせて鑑賞するのも良いのではないだろうか?

あと余談だが、焼きマシュマロは小さなマシュマロよりも拳くらいのアメリカサイズのものを用意して作ったほうが食感がはっきり出て美味しいのでオススメだ。スモアという食べ物はこの映画で初めて知った。いつか食べてみたい。

左腕

暗黒街の顔役(1932)

 男が花束を持っている映画があり、そこには概して機関銃が隠れている。だったら機関銃こそホワイトデー的なのではないか? なんといっても主役たるスカーフェイスの白いこと。傷とかどうでもいい。白い印象が一番。この頃の映画は映写するときの画質に期待できないからか役者のメイクが白い。男はみんなカリガリ博士に、女はみんなメトロポリスに見える。

 本作はハワード・ホークスによるもので、彼の真髄は物の破壊にあると思う。笑いを意図したシーンにたっぷり時間を割きつつも、見終わって印象に残るのは本作で言えばカーチェイスからのクラッシュ。『コンドル』で言えば悪天候下の郵便飛行士たちのドラマ、の果ての飛行機クラッシュ。『3つ数えろ』だったら殴られる専用の路地のような場所で殴られるハンフリー・ボガートか? これらを踏まえてホークスの西部劇を見直してみたい。

 ハワード・ホークス作品といえば主人公のドラマと並行して奇お爺のドラマが進められるという印象がある。『赤い河』には入れ歯の奇お爺が、本作には字の書けない奇お爺が登場する。これらのキャラクターを見ていると過剰なほどの哀しみを受け取ってしまう。ホークスの映画は恐らくコメディとして作られていると思うが、本当は違うんじゃないかという気がしてくる。

コーエン添田

スカーフェイス(1983)

 機関銃最強映画。ジョルジオ・モロダーのとんでもなく格好いい音楽と共に注入されるオリバー・ストーン節。彼の脚本は「※めちゃくちゃ格好いい音楽」とでも但し書きされて始まるのだろうか。

 と言っても私はオリバー・ストーン関連作品は本作と『JFK』と『JFK 新証言』しか見ていない。『JFK』は大変に魅力的な映画だ。アメリカン・ミステリだ。対して『新証言』は、どうしてこれを映画でやるのだろうと思ってしまった。ほとんど文字情報でできているのだから本にしたほうがいいのではないか。しかしそう思ってしまうのは私がテレビ・ネイティヴだからかもしれない。テレビには文字情報を伝える時間が結構ある。数字や名詞、動詞など。テレビが映画から分化したメディアであることを考えると『新証言』は普通に真っ当な映画ということになる。

 しかし書籍みたいな内容の脚本を書いたところに、それを映像にして編集して世に出すという仕事が乗っかってきて、よく心が折れないなと思う。

コーエン添田

フランケンシュタインの花嫁(1935)

ホワイトデーに観たい映画といえば、そう!『フランケンシュタイン』(1931)の続編、『フランケンシュタインの花嫁』(1935)だよね!哀しき怪物の誕生と混乱を描いた記念すべき1作目。続編となる今作では「フランケンシュタインの怪物」の中の人間性の変化を描いていて、前作のアンサーソング的な物語となっている。

まず物語のプロローグでなんと原作者のメアリー・シェリー、夫のパーシー・シェリー、友人のバイロンが出てくるというメタ構造に驚き。そのメアリー・シェリーの口から実は『フランケンシュタイン』には続編があるという話から物語は始まってゆく。前作ではどちらかというと怪物の凶暴性に焦点が当たっていたけど、今作では怪物が簡単な言語を習得するなど、怪物でありながらも自分の中の人間性に目覚めていくという何とも悲哀に溢れた映画になっている。また作品中に磔、羊、パンとブドウが出てくるなど、キリスト教なイメージが多く出てきているのも印象的。怪物という原罪を背負った受難者としての「フランケンシュタインの怪物」という側面もあり、ラストも含めて何とも切ない…。

タイトルになっている「フランケンシュタインの花嫁」は終盤になってようやく登場するのだけど、そのアフロのような髪型もあってインパクト十分!モンスター作品という枠組みに収まらない、怪物と人間を巡るドラマに最後まで目が離せない!…というかバレンタインデー(&ホワイトデー)も元々はキリスト教の聖人を祭るのが目的ですよね…。なんでチョコやクッキーを贈りあってみんなウキウキしているんですか?…僕の手元には何も無いのに…。うっ…俺の中の怪物が目覚めてしまう…うっ、うぉぉぉーーー!

ぺんじん

1.0 【ワン・ポイント・オー】(2004)

贈り物をもらうとなれば基本的には嬉しいものだが中にはこんな贈り物はご勘弁というものもある。なんだか奇妙なタイトルを持つこの映画『1.0』はサイバーパンク風の近未来を舞台にしたSFホラー。システムエンジニアの主人公は今で言うリモートワークを先取りして自分の部屋で納期に追われていたが、そこに届いたのが差出人不明の箱。なんだかわからんがとりあえず開けてみると尚更なんだかわからん。その箱の中身は空っぽだったのである。だが、その日から男の日常は静かに崩壊し始める・・・。

タイトルも含めてダーレン・アロノフスキーの半伝説的デビュー作『π』の影響を強く感じさせる『1.0』は『π』同様に基本的になんかよくわからない映画である。なんかよくわからない隣人が住んでてなんかよくわからない陰謀のようなものが見え隠れしなんかよくわからないまま死体は増殖し主人公はなんかよくわからない謎の病に冒される。空っぽの箱を開けたことで崩壊し始める世界、とはまるでサルトルかカミュの不条理小説のようだ。その手の謎が謎を呼ぶだけで一向に答えに辿り着かない映画が苦手な人にはオススメできないが、痙攣するロボットの薄気味悪さや黄味がかったレトロ調の色彩が醸し出す退廃感は素晴らしく、ナノテクノロジーやコンピューターウイルスが蔓延する未来の不安を先取りしたSF映画として、今もその鈍い輝きは薄れていない。

さわだ

ファイティング・ダディ 怒りの除雪車(2014)

「真っ白」な雪原で模範市民である男が息子を殺したギャングたちに「復讐」する。「ホワイト」で「お返し」の映画である本作は、古今東西、様々な復讐映画で溢れる昨今、凡百の「舐めてた相手が〇〇でした映画」とは一線を画す。リーアム・ニーソン主演で監督本人がセルフリメイクした『スノーロワイヤル』のほうが有名だと思われるが、(内容はほぼ同じ。そちらも十二分におもしろい作品)断然オリジナルであるこの『ファイティング・ダディ怒りの除雪車』をおすすめする。

この作品は先にも書いた通り復讐映画なのだが、ほとんどブラックコメディと言える映画だ。模範市民のおやじ(オリジナルはステラン・スカルスガルドが演じる)が独自に復讐に乗り出すのだが、ギャングたちはまさかそんなやつに脅かされているとは露知らず、他の組織からの宣戦布告を受けたと勘違い。関係のないところで色々と人死が増えていくのである。また模範市民のおやじもそんな事は知らないので、次々とギャングの関係者を殺しては、フィヨルドに沈めていくのがなんとも笑いを誘う。またどうしても触れざるをえないのが、人が死んだ時の演出があまりに独特であり、ここはぜひ見てほしいところだ。

ところでこれは舞台であるノルウェーの映画。同じ北欧つながりで『ライダーズ・オブ・ジャスティス』というマッツ・ミケルセン主演のデンマーク映画を思い出すが、こちらも一風変わった復讐映画であり、ブラックコメディ的な要素が多分にある映画であった。これは北欧映画の性質なのだろうか?どちらも不幸と幸せが同時にやってくる映画で、やり場のない思いを抱えながらなんとか生きていこうと思える、そんな映画であった。

左腕

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