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【特集 北野/たけしの映画世界】北野武『首』公開 記者会見を見て…

北野武監督最新作「首」の公開記者会見動画を見ました。

たけしさんらしいブラックジョークと歯に衣着せぬ発言の奥に、海外にこれがどう翻訳されるのだろう?という意識が少しだけ見え隠れしているようにも、見ている側の勝手な意識としては感じました。

思い出したのはやはり、フライデー襲撃事件やバイク事故の時の記者会見の映像で

当時の若くて才気と殺気溢れるたけしさんの姿と対比すると、単純に月日の流れを感じざるを得ません。

その時と信念や思想は変わってないと感じるし、ましてや深みが極まっているとも思うのですが、反射神経みたいなものは漫才師としてご本人がたびたび言及しているように全盛期のそれでは無いと、もはや風景と化しているとも言えるようなビートたけしという共同幻想を眺めながら、ぼんやり考えたりしました。

当時から見ている方はなおさらかもしれません。

と同時に、

その流れでツービートの漫才動画も遡って見てみたのですが、

そこでマシンガンの如く毒舌を撒き散らしながら喋るたけしさんを見て

なんだか

「今とあんまり変わらないな…」

とも思いました。

なんなら

「今とあんまり変わらない“聞き取りづらさ“だな…」

と思いました。

そして、それが

なんとも言えない可愛らしさと言うか、人間的な魅力そのものになっていると感じました。

いわゆるお笑い用語で言うところの“フラ“ってやつです。

たけしさんの漫才を直接見たことない世代にとって、ビートたけしはもう既にテレビの中で大御所としてその椅子に座っていて、ニュース番組のコメンテーターを務めている年配のタレントという風景なので、その滑舌はご年齢によるものと、頭の回転が速い人特有の言語に口の動きが若干追い付いてないという現象によるものなのかなと漠然と感じていました。

よく他の芸人さんにモノマネされているタイプでもあるので、余計にそういう象徴として滑舌ごとアイコン化されてしまっているところがあると感じます。

ですが、過去のたけしさんの映像、特に漫才師時代の映像を見ると、

もの凄く早口で立板に水のように喋っているにも関わらず、その瞬間ブワッと東京の下町の空気感が如実に出てて、元々身体に染み付いたそういう喋り方なんだな というのがダイレクトに伝わってきてきます。

速いからこそ、その“フラ“の密度が凝縮されいる感じ。

言ってしまえば、これって

歌ヘタ的な 味のある歌い方みたいな事なんじゃないかなと感じます。

全盛期の頃のTHEMANZAIの時の漫才映像とか見てると、ビートきよしさんのよく通る声でのツッコミの方が、たけしさんの早口漫談に付いてゆく技術みたいなものを分かりやすく覚えるという印象。

昔、爆笑問題太田光さんがラジオで「立川談志は技術、ビートたけしは人間味」というような感じの批評をしていたと思うのですが、そういう事なのかな…と思いました。

時代を席巻したプロの漫才師ですから、話術が無いと言ってるわけではもちろん無くて、その“フラ“を自覚しコントロールしてゆく事が、ビートたけしというコメディアンの偉大さなのではないかと感じたのです。

いわばそれは “異物感“ とも言えるのでしょう。

漫才師として、テレビタレントとして、映画監督として、北野武はフラという名の自身と世界のどうしようもない異物感と向き合い続けて、それを表現してきたんじゃないかな と思いました。

お笑いの面白いところは、

そういう本来ならば下手と形容されてしまうような滑舌や訛りなどが、転じて魅力となり、むしろそれが本流と化してしまうところだと思います。

毒ガス漫才として世の中のあらゆるものに悪態をつき、

フライデー襲撃事件やバイク事故で世間を騒がせ、

「その男、凶暴につき」で強烈な映像的違和感を残し、

捨て身の露悪と天然の自己批評を繰り返し続けてきたたけしさんだからこそ、今それが世界のキタノと称されているのかなと

ビートたけしは異物感の監督

記者会見の冒頭で「ジャニー喜多野川です」とボケてみて、その場は笑いに包まれながらも 通訳には「ジョニー北野」と訳されているのを見て、なんだか二重に滑稽で、面白くて笑ってしまいました。

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