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特集

【ミニミニ特集】春らんまん!新生活応援映画10選!

いや~春ですね!春といえば卒業!・・・と先月同じようなことを言って「卒業映画」のミニミニ特集をやったのですが、卒業の後にあるのは新生活、ということで今回はいろんな「新生活映画」を集めてみました!不安でいっぱいの新生活!でも、ここに挙げた新生活映画を見ればちょっとは不安が和らぐかもしれません!もちろん逆に不安が増大する可能性もあるがな!!!

ぼくの伯父さん(1958)

新生活とくればやはり心機一転フレッシュにいきたいものだというわけでフランスの喜劇王ジャック・タチのハイパーモダンな『ぼくの伯父さん』なのだがいやはや何度見ても驚かされるのが1958年という製作年!1958年にしてこの現代性!このユーモア!ゴダールのキュートな『中国女』はその約十年後、『勝手にしやがれ』でさえ二年後の1960年に製作された映画なのだから、タチのセンスがいかに時代に先駆けていたかがわかります。先駆けすぎて代表作『プレイタイム』は興行的に大失敗の大赤字となってしまったらしいが・・・。

さてこの映画、どのような内容かと言えばブルジョア一家の時代の先端を行く近未来的ハイパーモダン邸宅にやってきたタチ演じる流浪人ユロ氏がそこで一騒動、ブルジョア一家に斡旋してもらった新たな仕事先の工場でも一騒動を巻き起こすというサイレント喜劇調のコメディ。まず見るべきは何はともあれ超オシャレでキュートな邸宅の美術、そしてこの邸宅(とユロ氏のアパート)をオモチャ箱みたいに遊び倒すタチの洗練されたユーモア。これがまるで飛び出す絵本の世界で何も考えずに童心に返ってニコニコしてしまうたのしさなのだ。その一方でハイパーモダン邸宅とは対照的に昔ながらの風情を残すフランスの下町風景も活写され、これもまたオシャレで粋。世の中はどんどん変わっていくかもしれないが、ま、遊び心を忘れず気楽にやってったらいいじゃない。案外変わりゆく世界の中にも変わらぬ楽しさや人情だってあるものさ・・・いつでもどこでも一言も発さずマイペースなユロ氏が、言外にそう語りかけてくるような新生活賛歌の傑作!

さわだ

ローズマリーの赤ちゃん(1968)

4月になって心機一転、新しい住居に引っ越しした方も多いのではないでしょうか?実は僕もそうです!引っ越し先で周りの住民と上手くやっていけるかどうか心配…そんな人にオススメな映画はコレ!『ローズマリーの赤ちゃん』だ!

引っ越し先を探している一組の夫婦。二人は歴史のある古めかしいアパートに一目ぼれするが、そこはかつて子殺しの殺人鬼がいたという噂のあるいわくつきのアパートだった。そんな事は気にせずにアパートへの入居を進める二人だったが、入居してすぐとある事件が起こる。そんな中アパートに住むおせっかいな老夫婦の助けもあり、なんとか新生活を進めてゆくのだった…。

今作はオカルト作品でありながらも、老夫婦のおせっかいを断れない所は結構リアル。全部は断れないものの、ある程度線引きをしておかないと後々トラブルが起こった時に断れなくなる…。食べ物の差し入れとかは断れない事もあるけど、自分の嗅覚と味覚を信じよう!また妊娠したローズマリーは老夫婦の助言を信じ、自分の体の異変を無視する医者によって民間療法を受け続けてしまう。こちらも友人の助言を信じて、最新の医療処置を受けていれば…。

オカルト的な表現の不気味さもさることながら、今作は隣人との付き合いをリアルに描くことによって本当に怖いのは人間だという事を教えてくれる。おかしいのはローズマリーかそれとも周りの人間たちか。というかいわくつきのアパートに夫婦で住んじゃダメ!!悪夢と現実が入り混じる不気味な表現が素晴らしい!さあみんなも一緒に「ヘイル、サタン」!!

ぺんじん

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986)

クー!キュー!新生活を始めた会社とかマンションとかで近くの人がいきなりそんなことを言ってきたらあなたはいったいどう反応するであろうか。バカな、そんな奇怪なことがあるわけがないじゃないか・・・と考えるあなたは甘いッ!何が起こるのかわからないのが新生活!現にこの映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』では買い物帰りに突然見知らぬ若造に「すいません、あっちに自分は宇宙人だって言ってる人がいるんですけど」などと話しかけられ、寒さで頭がバグったかわいそうな人かなにかだろうと思ってその自称宇宙人を交番に送り届けようとしたらまたもや突然、あまりにも突然に誰もがクー!キュー!しか言わない上にやたらとがめつく塩対応の人間しかいない謎である以上にこんなところで暮らしたくない感満載の惑星に飛ばされてしまうのだ!クー!キュー!

そんな新生活に備えてぜひとも見ておきたいこの映画はソ連末期に製作された人民芸術家ゲオルギー・ダネリヤ監督によるSFコメディのカルト的傑作。ツッコミ不在の異星で真顔のまま次々と繰り出されるシュールなギャグは一度ツボに入るともう抜け出せない。だが、単に笑えるだけではない。言葉も文化もまるで異なる世界に何の用意もなく放り込まれた時にどのようにサバイバルするか、そしてどのように完全なる他者と仲良くなることができるかを描いた、異文化コミュニケーションの一級品の教材でもあるのだ。春となれば言葉の分からない地への海外赴任も急にきまったりするかもしれない。だがそんなときでも、この映画があれば万事クーだ!

さわだ

はじまりのうた(2013)

春は新生活を始める人がたくさんいるので、「新生活」にまつわるオススメ映画を一本、500文字くらいで紹介しておください!

もちろんですとも!
では春の風にぴったりの「新生活」がテーマの一本を、日本語で500文字ほどでご紹介いたします!

🌸 『はじまりのうた(Begin Again)』(2013年/米)
失恋、仕事の失敗、夢の挫折——。人生のどん底から、新たな一歩を踏み出そうとする人々の再出発を描いた音楽映画です。恋人に裏切られたシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)は、失意の中でニューヨークのバーで歌を披露します。そこに現れたのが、レコード会社をクビになった落ち目の音楽プロデューサー、ダン(マーク・ラファロ)。この偶然の出会いをきっかけに、二人は“街中を録音スタジオにする”という前代未聞のアルバム制作に挑戦します。
心がぽかぽか温まる名曲たち、ニューヨークの風景、そして何より“失ったものを数えるのではなく、新しい一歩を踏み出す勇気”を描いた物語は、春にぴったりの一作。人生に迷ったとき、新生活に不安を感じるとき、この映画は「大丈夫、始めてみよう」とそっと背中を押してくれます。

ルー/ChatGPT)

暗黒街の弾痕(1937)

私が最近読んでいる本で、諏訪部浩一の『チャンドラー講義』というのがある。その中で『プレイバック』について、「LA小説の典型と見なせるような馴染みあるプロット」が組み込まれており、「チャンドラーは『さよなら、愛しい人』のマーロウに「ノワール小説」の読者のような立場を与えたように、『プレイバック』では「LA小説」の読者のような立場を与えたといえるかもしれない」としている。続けてデイヴィド・ファインの著書 “Los Angeles in Fiction” が引かれており、「ロサンゼルス小説の登場人物達は、ほとんどの場合、何かを求める人間で、新規まき直し、もしくは最後のチャンスの場所としての南カリフォルニアに、希望にあふれて、もしくは死物狂いになって、引き寄せられた男女である」とある。

フリッツ・ラングの『暗黒街の弾痕』が、ちょうどそんな映画ではなかったか。

本作は “You Only Live Once” という原題を持っている。コスミック出版による紹介文では「前科三犯をもつエディは恋人のジョーの尽力で出獄を許された。今度こそ真っ当に生きようともがくも束の間、エディは身に覚えのない強盗容疑で捕まってしまう」。 

「二度生きることはできない」というタイトルが示すとおり、彼は過去を拭い去ることができない。

コーエン添田

イレイザーヘッド(1977)

惜しまれつつも今年一月に逝去したアメリカのカルト映画帝王デヴィッド・リンチの初長編作品は、学生結婚したリンチ自身の新生活体験が反映されていると言われる育児つらいよ物語。稲妻を脳天に食らった人みたいなすごい髪形をしている主人公の印刷工は恋人のメアリー・Xに出産を告げられ、その両親の圧迫会食の結果、表面のつるつるしたETみたいな謎の赤ちゃんを育てることに。この赤ちゃんは湯たんぽみたいでカワイイのだが印刷工の目には異形の怪物にしか見えないようなので愛着などまったく感じられず、そればかりか、これが俺の子供ということは俺の中にこの怪物がいるのか・・・?と極度の不安と自己嫌悪に駆られ、次第にこぶ女が舞台で踊り脳みそ消しゴムの製造される妄想世界へと突入していく。

常に鳴り響くマグマのような低いノイズ、この世の者ならざる異形の人々、ファッショナブルな構図や美術、不条理で奇怪なストーリー展開、そしてそのダークでアートな世界観とは裏腹に次々と繰り出されるカートゥーンのようなバカバカしいギャグと、長編デビュー作だけあって後のリンチ映画を構成する要素が尖った形でテンコ盛り。さぞかしヤバイ映画なのだろうと思われるかもしれませんが、意外や後味は悪くなく、見終わった後はなにか心が浄化されたような気分にさせられるのがこの映画のカルト・クラシックたるゆえん。

新生活は誰でも不安でいっぱいですが、そんなときは部屋の電気を消して一人でひっそり『イレイザーヘッド』を浴びてみるのもよいかもしれません・・・。

さわだ

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ(2023)

 ネタバレを含みますので、本作を見る予定のある方は見た後で改めてお読みください。

 進学、就職、同棲、結婚などなど、新生活は人生のステップを進んだ時に始まることが多い。しかし人生には不本意な新生活も存在する。退学、離職、離婚、病気、死別などなど。30歳以降の人生では、むしろそっちの方が多いのではないか。
 そんな不本意な新生活に直面した人へ送りたいのが、本作のラストシーンである。人生も終盤に差し掛かってきた孤独な主人公は職を追われてしまう。見ている側は「これから先どうするのだろうか」と、とても心配になる。しかし主人公は爽やかな顔で言う。「再出発だよ」
 とても素晴らしいシーンだと思った。涙とかそんな感情ではなくて、何かふっと楽になるような、そんな感動だった。

 これまでいたところから飛び出すのはとてもエネルギーがいることだ。人は皆、仕事や家庭の不満を口にしながら、そこから飛び出すことはしない。実は飛び出す方がストレスだから。
 でもそんな中で、稀に弾き出されてしまうことがある。その時、とても惨めな気持ちになるだろう。でも同時に、どこか解放感も感じる。実はほとんどの人生は、弾き出されない限り、なかなか新しいスタートは切れないのかもしれない。
 「再出発」という表現は、とても素晴らしいと思った。当時私は勢いで職場に辞表を出した直後だった。再就職先も決まっておらず、宙ぶらりんの中で、この言葉にハッとさせられた。

二階堂 方舟

バグダッド・カフェ(1987)

はじめてこの映画を見たのは中学生の頃じゃなかっただろうか。日本におけるミニシアターブームの火付け役と紹介されることも多い作品なので毎週通ってたレンタルビデオ屋の名作コーナーに置いてあって、とりあえず名作っぽいのをいろいろ見てた時期だからこれも借りたのだが、全然おもしろくない。ドイツからアメリカにやってきたらしい素性の知れない太ったおばさんが辺鄙な荒野にポツンと佇むモーテル兼ダイナーに逗留、そこに暮らすやさぐれた人々と交流を重ねていくうちにやさぐれた人々の心が徐々にほぐれていく・・・というような映画で、大したストーリーはなくて倦怠ムードの中でつまらない日常がダラダラと続くだけ、絵面も単調だし大ヒットしたというテーマ曲『コーリング・ユー』もヒーリングミュージックみたいでとくに響かなかった。

しかしそれから十数年。ふと、あの荒野のモーテルの光景が頭に浮かぶ。そして思う。『バグダッド・カフェ』、イイ映画だったんじゃないだろうか?おそらくナイン・インチ・ネイルズを爆音でヘッドホンに流す中学生にはこの映画の良さを理解することが難しかったんだと思う。社会に出てさまざまな挫折や重圧を経験してみれば、心に浮かぶあの荒野のモーテルは強烈な吸引力を帯びる。背景に青い空と茶色い土、それにどこまでも続く一本道の道路しかないシュルレアリスム絵画のようなシンプルな景色。そこに暮らす世界から取り残されたような人々と、何の前触れも無く現れたやさしき異邦人とのささやかな心のふれ合い。その穏やかで気怠いムードは社会のあれこれに揉まれてささくれ立った大人のハートをなんと癒やすことか・・・!新生活に、いや、新生活と云わず人生に疲れたら、しみじみ浸りたい一本だ。

さわだ

オールド・ボーイ(2003)

4月から新生活が始まり、心機一転何か新しいことを始めようとしている人もいるかもしれません。新しい趣味だったり、ダイエットだったり、始めたい事が一杯あって悩んでしまいますよね。でも一番に始めなきゃいけない事といえば、そう!復讐だよね!!という事で新生活にあたってオススメするのはこの映画!『オールド・ボーイ』だ!

訳も分からずに個室に15年間閉じ込められた平凡な男、オ・デス。突如解放されたオ・デスは妻の復讐を果たすべく、日本料理屋で出会った若い女性、ミドとともに真犯人に辿り着こうとするというストーリー。犯人は早いうちに分かるのだが、この意味不明な監禁は「誰が」やったのでは無く、「なぜ」起きたのかがポイントとなる。その「なぜ」が全て明らかになる時、本当の苦しみが始まるのだった…。復讐を誓うオ・デスだけでは無く、犯人でさえもひとつの悪夢に囚われていた事が分かるラストはあまりにも哀しい。苦しむ人間にとっては忘却こそが救いになるという事が痛いほどに感じられる…。

血で血を洗うような暴力描写に、異様なカメラワークが冴えわたる傑作!塀の向こうにも、復讐を果たした後にもそこには何も無い…15年間はあまりにも長すぎる…。新生活を始めたみんな、やるなら今しかない!今だ!

ぺんじん

お引越し(1993)

切り分けたホールケーキのような奇妙な三角形のテーブルで一組の家族が無言で食事をする中、とつぜん一人娘のレン子(田畑智子)が立ち上がって「会話の弾む、明るい家庭」と宣言する冒頭シーンにいったい何が何だかわからず頭の中が疑問符だらけ。なんだなんだと見ているとどうやらこの夫婦は離婚が決まったらしく、それで夫婦での会話も無いということがわかるが、このあたり突飛な展開や演出で観客を強引に映画の世界に放り込み、一寸先がどうなるかわからない緊張感でなんでもないような日本の風景を日常性とサスペンスの同居する異空間に変貌させる監督・相米慎二の面目躍如。両親の離婚を受け入れられない小学六年生女児の、父親不在の新生活への戸惑いと不安・・・言ってしまえばそれだけのお話なのに、片時も目が離せない。

この映画や『ションベン・ライダー』、『台風クラブ』や『夏の庭 The Friends』など、相米慎二が子どもを主役に据えた映画を多く手掛けたのは、こうした衝動的な作風が子どもの感性と重なっていたかもしれない。だからこの映画には大人の都合で始まった新しい生活に対する不安と、反面の大きすぎる期待の狭間で押しつぶされそうになる子どもの心情が、ファンタジックな心象風景も交えて痛切に刻み込まれている。きっと、こんな経験を誰しもがしてきたんじゃないだろうか?その混乱を乗り越えた先にある成長したレン子の姿には、大人なら温かな心持ちにさせられること請け合い。

さわだ

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